大宮神社の参道脇に、庚申塔らしき石塔が祀られていました。
場所:福岡県田川郡糸田町宮谷
座標値:33.6615181,130.7716675
かなりいびつな形をしています。おそらく、もともとこのような形ではなかったと考えられます。この石塔は、みたところ石灰岩でつくられています。長い間、風雨にさらされ石灰分が溶けたと考えられます。そのためにこのような奇妙な形をしていると考えます。
おそらく、正面に刻まれていたであろう文字は判読できません。
裏側から石塔を確認すると、数文字、判読することができます。
かろうじて「丁酉二月」という文字が確認できます。しかし、元号までは確認できません。
江戸期と明治期において干支が「丁酉(ひのととり)」である年を調べてみます。すると5つの年で丁酉であることがわかりました。
①明暦三年(1657年)
②享保二年(1717年)
③安永六年(1777年)
④天保八年(1837年)
⑤明治三十年(1897年)
この石塔とは別に、大宮神社の一の鳥居の傍に、複数の壊れた庚申塔がちらばっています。これらの庚申塔は別の機会にご紹介します。
これらの庚申塔の中に、明治期につくられたものが確認できました。これら庚申塔は江戸期の後期か、明治期につくられたものでは…と憶測してみます。
この仮説がただしければ、今回ご紹介している石塔は、天保八年(1837年)か、明治三十年(1897年)につくられた可能性が高いのではないかと考えます。