大分県、国東(くにさき)町の鶴川という地区に、地主神社があります。ここに庚申塔を探しにいったとき、神社のとなりに印象的な風景をみることができます。池のまんなかに石祠が祀られていて、その石祠にむかって石橋が架かっている景色です。
場所:大分県国東市国東町鶴川
座標値:33.559818,131.735887
周辺に案内板などはなく、「町史跡 古興導寺遺跡」という立札だけがたっています。国東市のホームページを拝読すると、以下のような文章が紹介されています参照。
空也京都に六波羅密寺建立後西海道に空也僧団として念仏の道を開いた。上陸地をお上がり崎と呼び、南下して杵築・山香に遊地する。
興導寺。空也廟、地主権現宮、院主坊等十坊の跡、空也池、経塚、お上り崎、空也木彫仏、旧釈迦堂、釈迦仏像等。
「空也」という僧が京都から国東半島の鶴川に上陸し、興導寺を開いたように読み取れますが、空也‐Wikipediaを参照すると、空也という僧は京都で亡くなっており、大分へ訪れたという記述はみあたりません参照。
「空也」の教えが国東へと伝わり、杵築・山香へと伝わった…という意味の文章だと考えます。興導寺は”大分県国東市国東町鶴川1827”に現在もあります。写真の地は、昔の興導寺へと続く参道の石橋だったのかもしれません。興導寺には空也の教えが伝わっているのでしょうか。