日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

正法眼蔵から学ぶ、日常を豊かにする智慧

書籍『正法眼蔵しょうぼうげんぞう(一)』増谷文雄 訳注.講談社学術文庫P.22‐25から、日常生活のなかでどのように、この教えを活かすかを考察します。

観自在菩薩と般若波羅蜜多

原文

観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり。五蘊は色・受・想・行・識なり、五枚の般若なり。照見これ般若なり。この宗旨の開演現成するにいはく、色即是空なり、空即是色なり。色是色なり、空即空なり。百草なり、 万象なり。 般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼耳鼻舌身意、色声香味触法、および眼耳鼻舌身意識等なり。また四枚の般若あり、苦集滅道なり。また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり。また一枚の般若波羅蜜、而今現成なり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去・現在・未来なり。また般若六枚あり、地・水・火・風・空・識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる行・住・坐・臥なり。



現代語訳

観自在菩薩が甚深の般若波羅蜜多(智慧の完成)を実践されていた時、その全身で五蘊(色・受・想・行・識)がすべて空であることを照見されたのです。五蘊とは、物質的なもの(色)、感覚(受)、思考・表象(想)、意志・形成力(行)、認識作用(識)であり、これらが五つの般若(智慧)に相当します。この五蘊が空であることを照見することこそが般若なのです。この教えの核心が開かれ、現れてくることは、色(物質的な存在)はすなわち空であり、空はすなわち色であるということです。色そのものが色であり、空そのものが空であるとも言えます。あらゆる草木も、森羅万象も、この真理を示しています。般若波羅蜜は十二枚あります。これは十二入(六根と六境)のことです。また十八枚の般若もあり、それは眼・耳・鼻・舌・身・意(六根)と、色・声・香・味・触・法(六境)、そして眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識(六識)のことです。さらに四枚の般若もあり、これは苦・集・滅・道という四諦を指します。また六枚の般若もあり、これらは布施(施し)、浄戒(戒律を守ること)、安忍(耐え忍ぶこと)、精進(努力すること)、静慮(禅定)、そして般若(智慧)という六波羅蜜です。そして、まさに今、現れている一枚の般若波羅蜜は、この上ない正しい悟りである阿耨多羅三藐三菩提のことです。また、過去・現在・未来という三枚の般若波羅蜜もあります。さらに、地・水・火・風・空・識という六枚の般若もあります。また、私たちが日常生活で行う、歩く(行)・立つ(住)・座る(坐)・臥す(臥)という四つの行いも、四枚の般若なのです。

 

この正法眼蔵の一節から、日常生活のなかで、どのような教えが得られるのか?

すべての物事や経験は本質的にくうであり、とらわれずに受け入れることで、より自由で平静な心持ちで生きられるという教えが得られます。

 

具体的には、観自在菩薩が五蘊(色・受・想・行・識)がすべて空であることを照見された*1こと、そして「色すなわち空、空すなわち色」という核心的な教えは、ふだん経験するあらゆる物質的な存在や感覚、思考、感情などが、固定された実体を持たないことを示しています。これは、良いことも悪いことも、喜びも悲しみも、すべては移り変わる一時的なものであると理解できます。例えば、仕事でうまくいかないことがあっても、それが永遠に続くわけではないと捉えたり、人間関係の悩みに対しても、とらわれすぎずに柔軟な姿勢で向き合ったりすることができます。

 

また、十二入(六根と六境)、十八枚の般若(六根・六境・六識)、四諦(苦・集・滅・道)、六波羅蜜(布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若)など、様々な般若の分類が示されていますが、これらはすべて、私たちが物事を認識し、行動するあらゆる局面において、般若(智慧)が関わっていることを教えています。つまり、日常生活におけるあらゆる行動や思考、感覚のすべてが、智慧を深める機会となり得るということです。歩く、立つ、座る、臥すといった日々の基本的な動作でさえ、意識的に行うことで、その瞬間瞬間に集中し、目の前の現実をあるがままに受け入れる智慧を養う機会となります。

 

「空」の思想を通じて…

 

①物事にとらわれない心の持ち方を育むこと

②日々のあらゆる経験が智慧を磨く機会であること

 

…という、二つの大きな教訓を読み取ることができ、これらは現代社会を生きる上で、心の平穏を保ち、より充実した生活を送るためのヒントとなると考えます。

*1:深く見通し、本質をありのままに悟った