日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

戸畑恵美須神社 福岡県北九州市戸畑区北鳥旗町

福岡県北九州市の洞海湾をはさんで若松区、戸畑区があります。この両区にそれぞれ「えびす神社」があります。わたしは戸畑区に「えびす神社」があることを『北九州の史跡探訪』(北九州市史跡同好会)P.142をよんではじめて知りました。

 

同書籍には、ここの「えびす神社」は”豪商のひとたちが出雲国より勧請(かんせい)した”と紹介されています。その豪商というのは、むかし洞海湾に浮かんでいた小さな島である「かば島」にいた人たちで、かば島に築かれていた若松城の城下の商家のひとたちでした参照

 

戸畑恵美須神社のよこに立てられている案内板には、”神社の神さまである事代主神(ことしろぬしのかみ)は、壇ノ浦の合戦でいきのびた平家の残党が勧請した”とかかれています。平家の残党は、ここ戸畑の海岸にいきつき、漁業を営んでいたということです。当時の戸畑の海岸は飛幡の浦とよばれる美しい浜でした参照。案内板には、”平家の残党が出雲国美保ノ関の美保神社より事代主命を勧請し、奉祀した”とかかれています。

 

いったん情報を整理すると…

・1185年 壇ノ浦の戦いがおきた

・平家の残党が戸畑の浜にいきついた

・漁業をはじめた

・戸畑恵美須神社が勧請された

・若松城が築城された

・若松城下で商業がさかえた

・1615年 若松城が廃城となった

…ということになります。それぞれの出来事の年代がほとんど不明なので、時代の前後はあります。この流れをかんがえると平家の生き残りの一部の人が、漁業からはじめて、そして商業へと営みを変え、その後、島根県松江市の美保神社参照から、えびす様を勧請したということになるのでしょうか。

 

 

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戸畑恵美須神社をわたし達家族がおとずれたのは夜の7時半ごろ。ふきんには車をとめられそうな場所がなく、いっとき車でふきんをぐるぐると周り、駐車場所をさがしていました。

 

若戸大橋の下側に路駐できそうな場所があり数台の車が路駐をしていたのですが、駐禁切符をきられるとめんどうなので、100円パーキングをさがし駐車し徒歩でここまで移動しました。

 

場所:福岡県北九州市戸畑区北鳥旗町

座標値:33.900394,130.819575

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戸畑の海岸近くの町には猫がたくさんみられ、恵美須神社ふきんにも5匹ほどの猫たちがたむろしていました。

 

県道38号線沿いに鳥旗公園があり、そのむこうがわに戸畑恵美須神社が住宅街のなかにひっそりと鎮座しています。えびす様に奉納するともしびと、社殿の前に設置された電灯により拝殿がてらされ、夜でもかろうじて手持ちで写真をとることができました。

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拝殿への参拝を終え、ひとまずいつもの習慣で境内に庚申さまがまつられていないか探してみましたが、小さな境内に、他になにもまつられていないことはすぐに確認できました。

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神社へはいるときには気づかなかったのですが、境内からでるとすぐ近くに若戸大橋がでんとそびえているのが目の端に映りました。橋の前には民家が比較対象物としてたっているので、橋の巨大さがひきたっています。

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