日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

ひとりの元庄屋が湾に自費で拓いた新田 その③ 福岡県北九州市門司区猿喰

前回の記事までは、猿喰(さるはみ)湾の入り口につくられた堤防や、その堤防にもうけられた潮抜き穴(樋門:ひもん)についてご紹介しました。元庄屋の石原宗祐(いしはらそうゆう)が考えた樋門のしくみにより、猿喰湾内の海水がとりだされました。

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海水が取りのぞかれて干拓工事が完了したのは宝暦9年(1759年)といわれます参照。この干拓工事でできた田んぼの広さは33ヘクタール(=1辺3.3㎞の正方形の面積)でした。猿喰新田の周囲をぐるっと1周あるくと、約30分かかるくらいの広さです。

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この猿喰新田の南端に、ポコッと水田のなかに浮かんでいる小島のような場所があります。厳島神社がまつられる小さな杜です。

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猿喰新田のことを知ることができた書籍『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会)』P.43で、この厳島神社は、水田をつくった石原宗祐(いしはらそうゆう)が水田の守り神として勧請(かんじょう)した…ということが紹介されています。

 

現在、厳島神社はどのような雰囲気の場所となっているのか知りたく、実際に足をはこんでみることにしました。

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猿喰新田の潮抜き穴から厳島神社までは、田んぼのなかの道を通れば約6分(500mほど)でたどりつきます。今回、わたしたち家族は上の図のように民家がある道を通り、やや遠回りして、潮抜き穴から厳島神社へとすすみました。

 

集落のなかをとおったら、もしかしたら庚申塔などの他の史跡もみつけることができるかも…とおもったからです(けっきょく見つかりませんでした)。

 

上の衛星写真では、数件の民家が通り道にあって、ひとけがあるのかなと思っていましたが、実際には空き家が多くひっそりとした道でした。

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↓南側から厳島神社をながめた写真です。舗装された道路から厳島神社の鳥居までの距離は約40mです。水田ができる前、猿喰新田は海水の入り込む湾でした。この厳島神社がある場所は海にうかぶ小島だったといいます(参照:案内板)。

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そしてその小島の名前は裸島(羽高島、波多加島:はだかじま)とよばれていました。この厳島神社がつくられたのが1773年(安政2年)ということで、猿喰新田が完成したのが1759年なので水田ができてから14年後に神社が建てられたのですね。

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石原宗祐が水田の守り神を勧請した…ということなので、祀られる神様も水にかかわる神様なのでしょう。厳島神社といえば、個人的には広島県の宮島や、大分県国東市国東町にある厳島神社がおもいだされます。どちらも海岸にまつられており、なんとなく水に関係する神様がまつられている、というイメージをもちます。

 

厳島神社について調べてみると、”市杵島姫神(イチキシマヒメ)を祭神とする神社。全国に約500社あり、広島県廿日市市の厳島神社を総本社とする”とあります参照。やはり市杵島姫神が”水の神さま”であるということです参照

 

猿喰新田内の厳島神社にも、水の神さまがまつられていると考えられます。

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杜のなかの細い参道をすすんでいくと、今は枯れていますが、水汲み場のような窪みがあり、ここにおりるための階段が設置されていました。

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厳島神社が建てられた当時は、この窪みに水が湧いてでていたのでしょう。

 

この窪地から、さらに杜の奥へとすすんでいくと『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会)』P.43に紹介されている石祠がまつられていました。この祠には安永5年(1776年)の銘がきざまれています。厳島神社が建てられたのが1773年なので、建てられて3年後に、この祠がまつられたのですね。

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石祠の左となりには石造りの延命地蔵菩薩がまつられていました。もしかしたら、前記した窪みの水は延命の御利益がある水として汲まれ、飲まれていたのかもしれません。

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今回の記事はここまでです。次回の記事では猿喰湾時代につくられていた堤防跡を探索したことと、猿喰水田ができてからさらに10年の歳月をかけて石原宗祐氏がつくった溜池のことをご紹介したいと思います。