前回の記事にひきつづき、福岡県北九州市小倉北区に、江戸時代からのこっている道沿いに祀られている庚申塔のことについてかいていきたいと思います。今回の記事で、このシリーズは最後です。
小倉北区の三萩野(みはぎの)という地区のちかくに、江戸時代からのこっている道があります。地図上でむかしからの道を赤破線でしめすと以下のようになります。
最後にご紹介する庚申塔は以下の場所にまつられていました。
場所:福岡県北九州市小倉北区萩崎町
座標値:33.873974,130.886177
今回の庚申塔がまつられている場所は、地形図上では、「メディアドーム」のすぐ北側です。メディアドームのすぐ北側に神社のマークがありますが、その神社ふきんです。この神社は綿津美(わたつみ)神社といいます。
綿津美神社がある場所は、江戸時代には「萩崎村」の東端にあたる場所です。つまり、今回の庚申塔はムラの端っこにまつられていた庚申塔です。
庚申塔の正面には猿田彦大神とのみきざまれています。
そして裏側にも側面にも建立年などの銘はきざまれていませんでした。
小倉北区三萩野近辺にのこっている江戸時代の道と、庚申塔がまつられていた場所を、以下の地形図で示しています。
赤三角でしめしているのが、庚申塔がまつられている場所です。現在、小倉の街は住宅やビルが林立する場所となっていますが、この三萩野や片野、萩崎という場所には田園がひろがり、ぽつんぽつんと村があるという…おそらく…のどかな景色がひろがっていました。今の街並みからは、なかなか想像しにくいです(参照:北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会編)P.70)
今回、3回にわたってご紹介してきた庚申塔は、そんなのどかな風景の広がる村のなかでまつられていた庚申塔だということがわかりました。