長崎街道は「豊前小倉の常磐橋(北九州市小倉北区室町2丁目)」から「肥前長崎(長崎県長崎市桜馬場1丁目)」までの、約223.8㎞の道程です。
長崎街道のひとつの宿場町である「黒崎宿(くろさきしゅく)」。その黒崎宿の南西1㎞範囲内にたくさんの松の木がうえられている区間があります。ここが曲里(まがり)の松並木です。南北に約600mの範囲に松がうえられ、その松の間に遊歩道がもうけられています。
曲里の松並木の景色が江戸時代当時のものかというと、そうではないらしく、2本を残してそれ以外の松は昭和に植えられたものということです(参照:『長崎街道 (九州文化図録撰書)』P.39)。残された2本は江戸時代からのこっている松で、大木となっています。その2本のうち1本がこちらの松です↓ 2021年現在でも立派にいきつづけています。
場所:福岡県北九州市八幡西区岸の浦
座標値:33.858590,130.763184
江戸時代からのこっている松ではあるものの、残念ながら枯死してしまった松が根元のみ残されています。地点(座標値:33.857520,130.763152)この松は、1999年の台風18号による暴風で倒れ、枯死してしまったそうで、のちに松の根元部分がガラスで保護されました。
ガラス台を横からのぞいてみると、立派な松のきりかぶが確認できます。樹齢約143年だということです。
曲里の松並木は、黒崎の山手通りに面したスタート地点から約600m歩くと、松の数がすくなくなりはじめ、スタート地点から800mほど進むと途切れてしまいます。
松並木がとぎれる、その800m地点に幸神(さいのかみ)がまつられているお堂が残されています。
場所:福岡県北九州市八幡西区幸神1丁目
座標値:33.854704,130.762341
詳細な情報はみつけられていませんが、この幸神様も長崎街道が機能していた江戸時代からまつられていた神様と考えられます。幸神様が”旅人の安全祈願の守り神”とされているためです(参照:北九州市HP-八幡西区-さいのかみ様)。
お堂のなかをのぞくと、石祠が二基と石塔が二基、祭壇にまつられています。北九州市HPの情報から推察すると、この二基の石祠に猿田彦大神と道祖神がまつられているのではないかと考えられます。
幸神のお堂とは、道をはさんで反対側に石仏がたくさん祀られているお堂がもうひとつあります。このお堂の前に巨大な松がはえていますが、この松こそが江戸から残されている2本目の松です。
今回の記事はここまでです。長崎街道に焦点をあてて意識して街道沿いを歩いてみると、意外に街道に関する史跡がみつかります。意識しなければ、ありふれた一風景として通り過ぎていた場所なのに。