日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

”中世”を感じさせてくれる場所 大分県豊後高田市田染

大分県豊後高田市の田染(たしぶ)では縄文時代からヒトが定住し、弥生時代には稲の栽培がおこなわれていました。

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上の地図は大分県豊後高田市田染という地区を示したものです。田染地区のなかに、大門という地区があります。ここは桂川沿いの自然堤防上となっていて戸原台ともいうそうです。戸原台では【竪穴住居(弥生時代)の跡が検出】【湖州鏡(こしゅうきょう;鎌倉時代のもの)が検出】されました。

 

つまり古くは弥生時代、新しくは鎌倉時代の遺跡がみつかったということから、ずいぶん長期間、戸原台には集落があったということが確認されています(参照六郷山と田染荘遺跡(櫻井成昭著)P.111)

 

Googleストリートビューで現在の戸原台あたりを眺めると、民家が何件かと田畑のある風景が広がっています。しかし古くから集落があったということを感じさせてくれる痕跡はないようです。

 

戸原台ふきんにある安養寺(無住)には、自然石でつくられた寛永二年(1625)造の文字庚申塔が祀られます。しかしこの庚申塔も発見された【湖州鏡(こしゅうきょう;鎌倉時代(1185年~1333年)】の時代から数えると、後の時代のものであることがわかります。

安養寺の庚申塔 文字塔 大分県豊後高田市田染真中

安養寺の庚申塔

場所:大分県豊後高田市田染真中
およその座標値:33.513838,131.519005

 

戸原台では西暦1300年代までの生活の痕跡はみつからないものの、すぐ近くに古い時代のものがそのまま残っている場所があります。

豊後高田市田染荘の小崎地区です。なんども通っている場所なのですが、本によりその歴史を詳しく知るまでは、ここが相当な歴史をもつ場所とは知りませんでした。

 

この美しい景観は約700年もの間、ほとんど変わっていないということです。

 

小崎地区は田染荘調査によって景観の変遷を諸資料によってたどることができ、現景観の原型はすでに14世紀前半には形成されていたことが明らかにされた。つまり、現在は何気ない農村の景観が広がるこの地区は、重要な「村落遺跡」なのである(六郷山と田染荘遺跡(櫻井成昭著)P126)

 

 この景観自体がすでに「遺跡」なのですね。小崎地区には、西叡山という小さな山のふもとに集落があります。この集落も鎌倉時代からつづいている集落で、台薗(だいそん)集落と呼ぶそうです。”台薗”という言葉の定義がネットを調べた限りではみつからないために、この集落特有の名称なのではないかと考えられます。

豊後高田市田染小崎

この台薗集落は、もともと”尾崎”とよばれており”尾崎”がのちに現在の”小崎”に変わりました。

 

台薗集落には延壽寺という古いお寺があり、お寺のある場所が田染荘園の荘官が住んでいた屋敷ということです参照

 

国東半島を調べれば調べるほと、私の知らなかったことが、次々と出てきます。手当たりしだいに調べていくときりがないので、なにかテーマを絞って(問いを立てて)、そのテーマに沿ってまとめていく必要があるのかもしれません。