場所:大分県杵築市大田沓掛(くつかけ)
座標値:33.509989,131.560569
2011.6.28撮影
これら30数基の五輪塔は1100年から1400年の間にかけて造られたと考えられています。田原氏は、室町から安土桃山時代にかけて国東半島で勢力をのばしていた一族です(参照:六郷山と田染荘遺跡(櫻井成昭著)P29)
田原氏は、大友宗麟をはじめとする大友氏から分家した一族です。分家した田原氏はだんだん大友家に反乱をおこすようになります。
1579~1580年に田原家跡継ぎ争いで、ついに大友親家と田原親貫とが戦争をはじめます。結果、大友親家が勝利し、田原親家として大友家の血族が田原家を率いることとなります。
田原家丸山墓地から東南東へ約100m移動すると田原家五重塔があります。
場所:大分県杵築市大田沓掛
座標値:33.509654,131.559454
1339年建造
田原家五重塔は、沓掛(くつかけ)城の主である田原直平氏の供養塔です。宝珠が塔の一番上についていたそうですが、現在はみつかっていません(参照:国東半島の石造美術(酒井冨蔵著)P127-128)
沓掛(くつかけ)城主であった田原直平氏は、同じ沓掛に宝陀寺を建立し、この寺院の開祖となりました。
宝陀寺は田原家五重塔から西へ500mほどの場所に現在もあります。
場所:大分県杵築市大田沓掛1361
国東半島の歴史では田原家は重要な位置を占めているようなので今後も調べることとなりそうです。