昭和6年(1931年)に完成され、第二次世界大戦中(1941-1945年)は弾薬庫として使用されていたという櫨ヶ峠隧道(はぜがとうげずいどう)。この隧道は北九州市小倉南区の道原(どうばる)という地区と、新道寺という地区をむすぶ県道28号線にあります。
場所:福岡県北九州市小倉南区大字新道寺
座標値:33.778951,130.857082
この隧道の上には中世の城館跡が残ります。堀切(ほりきり)や竪堀などの、敵の侵入をふせぐための防御遺構があまりみられないことから、兵を一時的に駐屯させる施設だったと考えられています(参照:P北九州歴史散歩 豊前編150)
隧道内部の壁は補修された跡があり、その箇所には業者による印がつけられています。補修される前は壁の剥落をふせぐためのネットがはられていたそうですが、現在では、そのネットは取り除かれています。
いっけんすると寂しい山道のような印象ですが、10分に1台ほどの割合で自動車が行き来しており、イメージとはちがって車通りがおおい印象をうけました。
隧道の入口手前 約100mのところに隧道建設に出資したかたがたの名前が刻まれた石版があります。この石版がつくられた年月の銘は刻まれていませんでした。
基本的に左から右にむかって出資額が大きくなっているようです。
櫨ヶ峠隧道についての詳しい情報が書かれた史料は手元にはなく、ネット上でも詳しい情報が書かれたサイトはみつかりませんでした。
『北九州市史』の「古代・中世」か「近代・現代(産業経済)」あたりを調べてみると、この隧道に関する記事が掲載されているかもしれません。