参照:『地図から読む歴史』足利健亮,P246‐254
福岡県久留米市の東方に連なる標高367.6m*1の「耳納山」。



耳納山の北麓には山から流れ出た土砂による扇状地が東西に連続しています。古い時代ほど水がかりの悪い「野」の景観が広く展開していたことがわかります。今でも北麓には「草野」「竹野」など「野」がつく地名が並んでいます。「野」と地名のつく場所は、比較的平らな地形でありながらも小高い位置にあるため、「水はけが悪く、水田を開くこと(耕地化)が困難」であるという特徴を持っています。


水縄断層沿い…つまり耳納山地の北麓沿い…に、以下のような特殊な扇状地が形成されています*2。
沖積錐:扇状地のうち扇状地面の傾斜が大なもの。
合流扇状地:扇状地が一連の扇状地群となったもの。
『和名抄』が記された平安時代、あるいは、それ以前の年代では、筑後国では地形を示す言葉に「御」や「三」といった美称*3を付ける流行があったため、この広大な野の景観に対して「三野」という地名がまず成立したと考えられます。そこから背後の山全体が「三野山」と呼ばれるようになり、後世になって「耳納」の字が当てられたと推察しています。