福岡県北九州市戸畑区に、鞘ヶ谷(さやがたに)という名前の地区があります。「鞘ヶ谷」の「鞘(さや)」は、あの刀のサヤを指す言葉なのでしょうが、以前から気になっていた地名でした。
場所:福岡県北九州市戸畑区東鞘ケ谷町
場所:福岡県北九州市戸畑区西鞘ケ谷町
鞘の形をしている谷となっていることが想像されます。国土地理院地図で、鞘ヶ谷付近の地形を確認してみます。





昔の人は、高い山の上から谷を見下ろして、その形を認識したのかもしれませんが、国土地理院地図で確認すると、鞘の形のように南北にすっと伸びる細長い谷をみることができます。谷の東側、西側、南側の三方が、こんもりとした丘陵地によって、「囲まれて」いることがわかります。北側だけが開けているこの形は、まさに刀の柄(つか)を差し込む口の部分を残した鞘の輪郭をあらわしているようです*1*2。
さらに、国土地理院地図の「3D表示」機能を使って、鞘ヶ谷の形状を確認してみます。


谷の南側の上空から北方を眺める視点に立つと、二つの丘陵の間に、深くまっすぐに谷が刻み込まれていることが確認できます。
しかし、どうしてこのような奇妙な形の谷が、この場所につくられたのでしょうか?鞘ヶ谷周辺の地質図を確認して考えてみます。
谷を囲む「丘陵」と、平坦な「谷底」とで、地質が異なるのではないかと想像されます。実際に地質図naviを確認してみると、たしかに鞘ヶ谷の丘陵地帯は「濃いオレンジ色」で示されており、谷の地域は着色がされていないか、「黄色」で示されています。


「濃いオレンジ色」は「安山岩・玄武岩質安山岩 溶岩・火砕岩」で構成されており、「黄色」は「汽水成層ないし海成・非海成混合層 砂岩,砂岩泥岩互層ないし砂岩・泥岩」で構成されています。また着色されていない箇所は「谷底平野・山間盆地・河川・海岸平野堆積物」で構成されています*3。
谷を取り囲む丘陵地帯は「関門層群(かんもんそうぐん)」と呼ばれる地層で構成されていると考えられます*4。この関門層群が形成されたのは、今から約1億年前、中生代白亜紀のことです。この時代、この地域では活発な火山活動が起こっていたと考えられます。その結果、噴出した溶岩が冷え固まった安山岩(あんざんがん)や、火山灰などが降り積もって固まった火山砕屑岩(かざんさいせつがん)が分厚い層をなして形成されました*5。これらは「下関亜層群」と呼ばれ、関門層群の中でも火山活動由来の岩石が主体となっています*6。
これらの安山岩や火山砕屑岩…略して火砕岩ともいう…は、非常に硬く、緻密であるため、雨や風による風化や侵食作用に対して強い抵抗力を持っています。この「硬さ」のために、周囲が削られていく中で、この部分が丘として高く取り残されたのだと考えられます。鞘ヶ谷の丘陵が、まさにこの硬い部分であると考えます。

一方で、人間が生活している平坦な谷底は、丘陵とは違って、柔らかい堆積物で覆われています。地質図では、これらは「沖積層(ちゅうせきそう)*7」と呼ばれます。
地質図naviで確認すると、着色されていない箇所です。この沖積層が堆積したのは、ごく最近である第四紀完新世、つまり約1万年前以降のことです。沖積層は、主に河川の氾濫によって上流から運ばれてきた砂やシルト(泥より少し粗い粒子)、粘土、そして丘の斜面から崩れ落ちてきた土砂などで構成されています。
関門層群の硬い火成岩とはちがって、沖積層の堆積物は粒子同士がほとんど固まっておらず、とても軟弱です。そのため、水の流れなどによって簡単に削り取られ、運ばれてしまいます。この柔らかい堆積物が、かつては深くえぐられていた谷を埋め立て、平坦な土地を形成していると考えます。

周囲の丘陵(鞘の外郭):
約1億年前にできた、硬くて侵食に強い「関門層群(下関亜層群)」の火山岩。
谷底平野(鞘の中身):
約1万年前以降にできた、若くて柔らかい「沖積層」の堆積物。
この「硬い丘」と「柔らかい谷」とが、「差別侵食(さべつしんしょく)」を受けて、現在のような地形になったと考えられます。差別侵食とは、硬さの異なる岩石が隣り合っている場所で、柔らかい部分が硬い部分よりも「差別的に」速く削られていく現象のことです。鞘ヶ谷の地形は、この差別侵食によって生み出されたものです。

以下に、「鞘ヶ谷」ができてきた経緯を、STEP1~STEP4というかたちで記してゆきます。
STEP1
今から約1億年前、中生代白亜紀。現在の鞘ヶ谷周辺では、激しい火山活動が繰り返されていました。噴出した溶岩や火山灰が降り積もったあと、冷え固まって、硬い「関門層群(下関亜層群)」の火山岩盤ができあがりました。この時点では、まだ谷も丘もなく、ゴツゴツとした、広い岩の平原が広がっていたのではないかと考えられます。
STEP2
新生代。地下にあった関門層群が、大きな力によって押し上げられ、徐々に地表へあらわれはじめます。このとき、硬い岩盤にも無理な力がかかり、断層や節理(せつり)と呼ばれる無数のヒビや割れ目が生まれます。
STEP3
更新世〜完新世。隆起した大地の上を、雨水が集まって川となり、流れ始めます。水は、常に最も抵抗の少ない、つまり最も削りやすい場所を選んで流れる性質があります。鞘ヶ谷の場合、川は関門層群の中にできた「断層」という地質的に弱い箇所に沿って流れ始めたと考えられます。
断層の部分は、岩盤が砕かれてもろくなっているため、周囲の硬い岩盤に比べて、削られやすいです。川は、この弱い箇所を集中的に深く、まっすぐに削り込んでいきました。これが、「鞘ヶ谷」の谷が直線的になっている理由です。
一方で、断層から外れた両側の硬い岩盤は、川の侵食力に力強く抵抗しました。その結果、削り残されて急峻な谷の壁となり、高くそびえ立つことになります。こうして、硬い岩盤(鞘の外郭)の間に、深く鋭いV字形の谷(鞘の原型)が刻み込まれたと考えられます。最終的なSTEP4にて、V字形の谷はU字型になりますが、国土地理院地図で現在の鞘ヶ谷の断面図を確認してみても、確かに深い谷になっていることがわかります。


STEP4
完新世。現在の鞘ヶ谷のかたちになるための、最終的な仕上げは、最終氷期が終わったことから始まります。気候が温暖化し、海水面が上昇すると、河口が近づいたことで川の流れは緩やかになりました。それまで大地を削る「彫刻刀」だった川は、今度は上流から運んできた土砂を谷底に溜めていく「埋め立て役」に変わります。
周囲の丘陵からも、雨によって土砂が流れ込み、長い年月をかけてV字谷の底に堆積していきました。こうして、かつて深く刻まれた岩盤の谷は、柔らかい沖積層によってすっかり埋め立てられ、広くて平坦な谷底平野が完成しました*8。
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鞘ヶ谷には「鞘ヶ谷ほたるの里」という場所があります。鞘ヶ谷の谷底には沖積層が蓄積していますが、この沖積層は水をよく含むため、ホタルの幼虫が育つために必要な、綺麗で穏やかな小川の流れをつくることができます。
鞘ヶ谷ほたるの里
場所:福岡県北九州市戸畑区西鞘ケ谷町
座標値:33.874074,130.829792



沖積層の上に建設されている住宅街▼ 東鞘ヶ谷町の風景を写しています。

一方で、こちらの写真▼は、鬱蒼とした緑の森に覆われています。鞘ヶ谷の丘陵部…つまり硬い地質の場所です。
侵食に強い硬質な「関門層群」の火山岩盤でつくられています。岩盤が硬いために、急な角度を保ったまま崩れにくく、また、土壌が薄く急斜面であることから、大規模な開発が難しかったため、豊かな緑が守られてきたと考えられます。




▲鞘ヶ谷の「丘陵部」でみられる岩石です。全体的に色が黒っぽく、細かな粒(鉱物)が集まってできているように見えます。マグマが地表近くで、比較的、急に冷えて固まってできた火山岩だと予想されます。地質図naviでは、写真を撮った場所あたりでは、「安山岩・玄武岩質安山岩」で構成されていると表記されています。


硬い「関門層群」の上に建設された「北九州市立美術館 本館」▼

*2:https://operation-table.com/ic.html
*3:https://nlftp.mlit.go.jp/kokjo/inspect/landclassification/land/land_history_2011/mapdata/503067/503067_REF.pdf
*4:https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_14034_1998_D.pdf
*5:https://www.zenchiren.or.jp/e-Forum/2018/PDF/2018_052.pdf
*6:https://www.kenf.jp/annualreview/KR-053.pdf
*7:川の働きによって運ばれた土砂(砂、泥、小石など)が積もってできた、比較的新しくてやわらかい地層のこと。
*8:https://nlftp.mlit.go.jp/kokjo/inspect/landclassification/land/land_history_2011/mapdata/503067/503067_REF.pdf