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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

自然と人の合作「包石(つつみいし)」 福岡県糸島市二丈鹿家

福岡県糸島市に、包石(つつみいし)という不思議なかたちをした岩が、海岸にあります。

場所:福岡県糸島市二丈鹿家

座標値:33.469934,130.039591

 

包石は、福岡県糸島市と佐賀県唐津市の県境に位置し、玄界灘(げんかいなだ)に面した海岸沿いにあります。具体的には、糸島市の最西端の行政区である鹿家(しかか)地区にあり、かつては筑前国と肥前国の境界を示す目印でした。国道202号線とJR筑肥線が間近を通る海岸線に沿って包石はあり、その高さは約5メートルです。見晴らしの良い日には、その先に長崎県の壱岐(いき)の島を望むことができる場所でもあります。

包石がある糸島半島や脊振(せふり)山地周辺の地域は、主に花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)や花崗岩などの深成岩類が広く分布しています。これらの深成岩類の間には、苦鉄質片岩(くてつしつへんがん)などの変成岩類も帯状に分布しています。また、芥屋(けや)の大門や姫島の上部など一部には、後期中新世から鮮新世にかけての火山岩類(例:玄武岩)も分布しています。「地球なんでもQ&A」のQ&Aでは、糸島などで見られる奇岩は、安山岩や玄武岩の柱状節理、あるいは花崗閃緑岩、斑れい岩、花崗岩などの深成岩類で構成されると述べられており、包石もこれらの岩種で構成されている可能性があります。

包石を構成する岩石

糸島半島地域には、白亜紀の花崗閃緑岩や花崗岩などの深成岩類が広く分布しているほか、玄武岩などの火山岩類も存在し、柱状節理を形成している場所もあります。これらの岩石は風化や侵食に対して比較的硬く、大きな塊として残ることがあります。特に花崗岩類は、球状風化によって丸みを帯びた巨礫を形成することが知られています。包石の頂部に「大きな丸い石」が乗っているという事実は、このような風化作用を受けた花崗岩質岩石である可能性があります。

海岸沿いの崖に露出したこれらの硬い岩石が、長い年月をかけて風化・侵食され、大小さまざまな形状の岩塊(巨礫や玉石)が供給されたと考えられます。

 

岩石の組織をくわしく観察すると、粗粒で結晶質的な構造が見られます。この組織は地質学的に完晶質(phaneritic)と呼ばれ、マグマが地下深部で数百万年という長い時間をかけてゆっくりと冷却したことを示しています。この緩やかな冷却過程により、現在肉眼で確認できるほど大きな、互いに嵌合(かんごう)した鉱物結晶が成長する時間が確保されたと考えられます。このようにつくられた岩は、深成岩(plutonic rock)または貫入岩(intrusive rock)と呼ばれます。

包石を構成する主な鉱物については、以下のようなものがあると予想されます。

 

石英(Quartz): ガラス質で灰色がかった、不規則な形状の結晶。

 

長石(Feldspar): 白色から灰色の斜長石と、一部の糸島花崗岩では桃色を帯びることがあるカリ長石が含まれる *1。   

 

苦鉄質鉱物(Mafic Minerals): 黒色で鱗片状の鉱物で、主に黒雲母(biotite mica)や角閃石(hornblende)であると考えられる。

 

これらの鉱物の構成比率、特に斜長石が豊富で石英も多く含むと考えられます。このような鉱物によりつくられた岩は、花崗閃緑岩に分類されます*2*3

地質図naviで、包石の周辺部の地域を確認してみると、前期白亜紀につくられた火成岩…具体的には花崗閃緑岩でつくられていることが示されています。

 

この時代は、海洋プレートの沈み込みに関連して、アジア大陸東縁で激しいマグマ活動が起きていた時期に対応します。糸島花崗閃緑岩を形成したマグマの塊は、プルトンと呼ばれる広大な地下のマグマ溜まりでした。その後、数千万年以上の歳月をかけて、このプルトンは地殻変動によって隆起し、上を覆っていた岩石が侵食によって取り除かれた結果、現在みられるような花崗閃緑岩が姿を現したと考えられます*4*5*6

 

白亜紀に地下深部でゆっくりと冷却した結果として得られたその鉱物組成と組織は、特定の風化作用…つまり球状風化…を受けやすいという性質があります。この風化過程は、巨大な丸い巨岩(コアストーン)と、石英を豊富に含む粗粒の砂(マサ土)という二つの特徴的な地質産物をうみだします。そして、これらの産物が、巨岩からなる岩がちな岬と砂浜が交互に現れる、糸島特有の海岸景観をつくりだします。

特に、包石から北北東3km地点にある姉子の浜では「鳴き砂」が有名です。「鳴き砂」は、この花崗閃緑岩に由来する純度の高い石英砂により、足で踏むと音がなるという特徴が確認されます*7

 

どのようにして包石は形成されたか

包石を遠方から眺める

この巨大で丸みを帯びた包石は、川の流れや波の作用によって丸くなった岩ではないと推測されます。その形状は、球状風化(spheroidal weathering)と呼ばれる過程でつくられたのではないかと考えます*8

 

水が、花崗閃緑岩の節理の間を通って浸透し、岩石をいろいろな方向から風化させます。この化学的風化は、平坦な面よりも角や縁で最も強く作用し、岩石をより速く分解させます。とても長い時間をかけて、この地下での風化が、節理によって区切られた角張った岩塊を丸め、内部に固く未風化の丸い核を残します。これらがコアストーン(corestone)と呼ばれるものです*9

 

その後、周囲の風化した岩石、すなわち「マサ土」と呼ばれるもろい物質(サプロライト)は、雨や波によって簡単に洗い流されて、硬いコアストーンが孤立した巨岩や岩塔として取り残されたと考えられます。   

 

包石の周辺の岩石をみてみると、岩が一定方向に割れているようにみえる「節理」が観察されます。このような割れ目に水が侵食していったのだと予想されます。

自然と文化によりつくられた包石

包石を構成するひとつひとつの巨岩は、自然なコアストーンであることがわかります。しかし、現在の積み重なった形状は、完全には自然のものではなく、人がつみあげたもののようです。

 

包石は、2002年(平成14年)9月に台風によって一度倒壊しました*10*11。その後、包石は再建されており、この修復作業の際に、石の接合部にセメントが注入され、安定性のために中心部に鉄の芯が入れられました*12。大きな岩の間に挟まれた小さな石も、この再建の一部である可能性があります。

石の継ぎ目にセメントがみられる

包石は、古くから文化的に重要な意味を持っていました。かつては、歴史的な筑前国(福岡県)と肥前国(佐賀県)の境界を示す有名な目印として機能していました*13

 

「包石(つつみいし)」という名前は、大きな石が小さな石を「包む」または「抱く」ように見えることに由来すると言われている 。別の語源としては、その形状が日本の伝統的な手持ちの太鼓に似ていることから、「鼓石(つつみいし)」に由来するという説もあります*14

 

包石は、「地質学的な側面」と「人間の歴史や文化の側面」から捉えられます。台風により崩れた貴重な地質学的産物を、人の手によりつくりなおし、これ以上壊れないように修理しました。この修理は、ただ形を元に戻すためだけではなく、人々にとって大切な意味を持つこの石の「形」を、未来に残すために行われたと考えられます。自然のままに壊れてしまうことよりも、人間にとっての貴重な文化財として守ることの方がもっと価値があると判断したのだと考えられます。

 

現在の包石は、自然が作り出しただけの石ではなく、自然が作った土台の上に、人間の大切な思いや歴史が重ねられ、重要な文化財としての価値が上乗せされたと考えます。

包石から眺める唐津湾