福岡県北九州市小倉北区に菅原神社が鎮座します。菅原神社の境内に一基の庚申塔が祀られていました。
場所:福岡県北九州市小倉北区古船場町*1
座標値:33.880330,130.881225
猿田彦大神と正面に刻まれています。また側面と下側には「庚申講」に参加しているメンバーである講中の名前がずらっと並べて刻まれています▼
庚申塔の裏側には、「文政壬年夏六月吉日」の文字がみえます▼
文政年間の年の干支は以下のようになっています。
文政元年(1818年):戊寅(つちのえとら)
文政2年(1819年):己卯(つちのとう)
文政3年(1820年):庚辰(かのえたつ)
文政4年(1821年):辛巳(かのとみ)
文政5年(1822年):壬午(みずのえうま)
文政6年(1823年):癸未(みずのとひつじ)
文政7年(1824年):甲申(きのえさる)
文政8年(1825年):乙酉(きのととり)
文政9年(1826年):丙戌(ひのえいぬ)
文政10年(1827年):丁亥(ひのとい)
文政11年(1828年):戊子(つちのえね)
文政12年(1829年):己丑(つちのとうし)
文政13年(1830年):庚寅(かのえとら)
このなかで干支に「壬(みずのえ)」という文字が含まれているのは文政5年(1822年)、壬午(みずのえうま)だけです。よってこちらの庚申塔は1822年に建立されたことがわかります。
「夏六月」は旧暦の6月のことで、だいたい7月頃に当たると考えられます。
つまり、この庚申塔は1822年7月頃に建立されたことがわかります。
1822年頃は、江戸時代後期にあたり、小倉藩では小笠原氏が藩主を務めていました。当時の小倉は、長崎街道の起点として、また関門海峡という地の利を生かした交易の拠点として栄えていました。
菅原神社は、1602年に細川忠興が小倉城築城の際に創建されました。
それ以前は小さな祠でしたが、歴代の藩主がこの祠を大切に守っていました。特に小笠原忠真は社殿を修築し、城下民子女の教育祈願所と定めました。
幕末の戦火で焼失し、明治初期には一時、国分村に遷座されましたが、明治25年に氏子らの手により再建されました。
参照:菅原神社の創建と歴史
参照:和暦・西暦・早見表
*1:ふるせんばまち