日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

濱生神社の境内にまつられる庚申塔群 福岡県飯塚市目尾

福岡県飯塚市(いいづかし)の目尾(しゃかのお)という地区に、濱生(はまお)神社が鎮座します。ここに6基の庚申塔群がまつられていました。

 

場所:福岡県飯塚市目尾

座標値:33.674997,130.698273

※庚申塔の数が多いため、座標値は社殿の場所を示しています。

 

濱生神社 境内の概略図は以下のようになっています。社殿にむかって左側に5基の庚申塔群、右側に1基の庚申塔と、そのほかの神様がまつられています。石祠も合わせると、13基の石塔や石祠がまつられています。

 

▼社殿にむかって左側にまつられる石祠と庚申塔群です。

①から⑥まで順番にご紹介します。

 

①道祖神、建立年などの文字はみられませんでした▼

 

②興玉神(おきたまのかみ)、安永四未年、十一月吉日。安永四年は西暦1775年、干支は乙未(きのとひつじ)です。

 

③猿田彦大神、□□三。元号部分が読み取れず、造立年は不明です。

④猿田彦大神、享保十乙巳年、十二月上浣。享保十年は西暦1725年、干支は乙巳(きのとみ)です。「上浣(じょうかん)」は、月の初めの10日間とか、上旬を意味します。「浣」は”すすぐ”という意味参照

 

⑤□□□大神、天明五巳年、一月吉日。神様の名前部分が風化し、読み取ることができません。しかし、横にまつられている庚申塔から考えると、「猿田彦大神」と刻まれていたと考えます。天明五年は西暦1785年、干支は乙巳(きのとみ)です。

 

 

今度は、社殿にむかって右側にまつられている庚申塔をご紹介します。

 

⑥猿田彦大神、明和九壬辰□年、正月吉日。明和九年は西暦1772年、干支は壬辰(みずのえたつ)です。

 

 

社殿にむかって右側にまつられている石塔群のうち、庚申塔以外の石塔も以下、ご紹介します。

石塔①。「作□」と刻まれているようにみえます。それ以外の文字は確認できませんでした。



石塔②。稲荷大明神、宝暦十二年、壬午四月朔日立之。宝暦十二年は、西暦1762年、干支は壬午(みずのえうま)です。朔という字は「ついたち」と読み、その文字どおり「一日(ついたち)」を意味するそうです参照。「立之」は、”この塔を建てた”という意味をあらわすのだと考えられます。

 

石塔③。玉□大神、安永十□年。「玉」の下の文字が読み取れませんでした。頭に「玉」がつく名前の神様をしらべてみたところ、「玉姫大神」という可能性が考えられます。玉姫大神の別名は、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)。稲荷大明神とおなじように、五穀豊穣、商売繁盛のご利益もあるそうです参照。安永十年は西暦1781年、干支は辛丑(かのとうし)です。風化のため読み取れませんでしたが、「安永十□年」の部分は、「安永十丑年」と刻まれていたのかもしれません。