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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

聖山のふもとにある茶屋遊女の墓地 福岡県北九州市門司区田野浦

場所:福岡県北九州市門司区田野浦
座標値:33.958280,130.992283

田野浦 茶屋 遊女 墓地 北九州市 門司区 聖山

田野浦 茶屋遊女の墓地

1872年に人身売買禁止令により営業停止となった田野浦の茶屋で働いていた遊女の墓地が現在も残っています。『北九州市史(民俗)』P544には、遊女の墓地は忌地というよりも聖地として残っている…と紹介されています。

 

この墓地が残っているのは、北九州市門司区の田野浦という集落にある聖山(ひじりやま)です。聖山は標高75mととても小さな山です。そして『北九州市史(民俗)』P544では聖山が以下のように紹介されています。

 

殊に真楽寺裏側一帯には、旧家の墓が多い。また明治五年(1872)人身売買禁止令によって営業停止になった田野浦の茶屋遊女の墓が数多くあったが、この遊女の墓は昭和五十三年(1798)ごろ同区庄司町の地蔵寺に移された。

 

これらの墓地は忌地というよりも、人々は聖地的な感覚を持っている。神の山として女性が山中に入るのを固く禁じられていた若松区小竹の白山神社の在る小嶽山の例と同じ意だろうか。

 

2020年1月時点では、この墓地がある周辺は雑草が繁茂し、山からの土砂が道を覆いはじめていました。墓地への入口は聖山の山腹にある春日神社参道の脇にあります。入口には「遊女の墓 30m登る」と書かれた小さな看板が立てられていました。

 

春日神社周辺にも家はあるものの、その多くの家が廃屋となっているようです。

北九州市 門司区 聖山 田野浦 茶屋 遊女 墓地

墓地への道 雑草と土砂に覆われはじめていました

 そして廃屋のなかには、無残にも崩れているものもありました。

茶屋遊女の墓地へ至る道の脇にも家がありました。もしかしたら、この墓地を管理していたかたが住まれていたのかもしれません(↓下の写真)。その家も現在では人は住んでいらっしゃらないようで、そのために墓地が管理されず、墓地への道も荒れてきているのかもしれません。

この家の裏すぐの場所に遊女の墓地がありました。

 

家の裏側から、墓地へ至る道をふりかえって写真をとりました(↓下の写真)。見晴らしのよい場所です。写真には写っていませんが、かなたに関門海峡を見ることができます。 

 家の裏側には墓石のひとつが保管されています。ここに墓地があるというよりも、墓石がこの場所に移動されたという感じです。墓石が聖山からの土砂により流されてしまい、倒れてしまっていたのかもしれません。

 

墓石のひとつを見てみてみます。中央に蓮の芽を持った地蔵菩薩らしき像が刻まれており、その両側に「〇〇童子 天明三 十一月廿九日」の銘が刻まれています。地蔵菩薩の頭の上には「早世」、足元には「九三佐?硯屋」の文字が確認できます。

これらの文字をざっくりと解釈すると、1783年に早くして亡くなったかたの墓石で、硯屋(すずりや)というお店で働いていた?ことが推測されます。

 

周辺を見渡してみると、目に見えただけではありますが、5基ほどの墓石が確認できました。山からの土砂により埋もれてしまったと思いますので、おそらくここには他にもたくさんの墓石が並んでいたと考えられます。

墓地へ訪れたこの日は、小雨が降る寒い日であり、また、周囲にある家屋にも人の気配がないために物寂しい印象でした。墓地は山中にあるために薄暗く、やや怖さも感じましたので足早にこの場所をあとにしました。天気の良い日に訪れたら、また違った印象を受けたかもしれません。