福岡県北九州市に「到津の森公園」という市営の動物園があります。わたしも小さな頃からお世話になっている馴染み深い場所です。「到津の森公園」の北側入口ふきんに、「石坊さま」と呼ばれる石塔が、木の祠のなかに大事にまつられています。
場所:福岡県北九州市小倉北区都
座標値:33.876075,130.844961
「石坊さま」のことを知ったのは、「北九州市史(民俗)」P.549、550を拝読していたときです。北九州市史では、石坊さまは「忌地(いみち)」として紹介されています。
「忌地」とは、そこに行ったり、そこにあるものをぞんざいに扱うと禍(わざわい)がおとずれるなどの、ちょっと怖い言い伝えが残る地のことをいいます。「石坊さま」の言い伝えは、石塔に腰掛けたり、動かしたり、さわったりすると高熱がでて、大病を患うというものです。
といっても現在、「石坊さま」の案内板によると、むかしのような、おどろおどろしい言い伝えが残っているわけではないようです。実際、石坊さまは、昔、園内の別の場所にまつられていたのを移動され、現在の場所にまつられるようになったようです。到津の森公園は、昔、「到津遊園地」という名前でした。到津遊園地の名前を使うと、石坊さまのもとの場所は、到津遊園地の「正面入口」の西側だったようです。座標値にすると(33.871765,130.845980)付近だと考えられます。
石坊さまは、どうして、この地にまつられるようになったのか。その経緯が『北九州市史(民俗)』P.549、550に紹介されています。
戸畑区の菅原神社のある一帯に、天賀城という城があったと伝えられているが、豊後の大友氏に攻められて天賀一族は戦死して、天賀氏の五人の姫たちは敵の手を逃れ、現在の到津遊園の丘まで落ち延びたが、追っ手が迫ってきたことを知り、当地で自害して果てた。村人たちは、ささやかな供養塔を建てて姫たちの霊を葬った。いつからとなくこの供養塔を「石坊様」と呼び、せつく(いじくる)と祟るといわれている。
天賀氏の姫君5人を弔うための石塔であったようです。いつの時代のことか、まだ詳しく調べていないので、はっきりとはわかりませんが、この石塔はおよそ200年前後の歴史があると考えられます。
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子どもと一緒に到津の森公園へ訪れたとき、園内を歩き回って、この「石坊さま」をずっと探していました。数度の訪問を経て、2022年4月17日(日)やっとみつけることができました。まさか、園内ではなく、北側入口のすぐそばにあったとは。
以下は、到津の森公園の動物たちです。
わたしが小学生低学年のころ、夏休みの「林間学校」で、この音楽堂をつかっていたのを、かすかに覚えています。ここに来るたびに、懐かしい記憶…というかほんわりした感情がよみがえってきます。
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さいごに、「石坊さま」の案内板の内容を文字おこししておきます。
石坊さまの由来について
「到津の森公園」の前身「到津遊園」が開園した昭和7年頃、入口正面の西側、 柴垣に囲まれた(ハゼの木の下に「石坊さま」と呼ばれる奇石がありました。村人の伝承によると、祈願石ということで二百年も昔からこの地にあり、毎年 には村人が供養のため盆踊りなどをしていたそうです。江戸時代、この地は豊前小倉藩の藩主小笠原候の祈願寺「真言宗吉祥寺」の墓所 があったところでした。そうした因縁でこの祈願石もあったのではないかと推測されています。この石坊さまは、古来、村人から「さわればたたる」と敬遠され、粗雑に扱うと たたりがあると伝承されてきました。 逆らって罰があたったという伝説が数限りなくあったとも言われています。現在、石坊さまは、 到津の森公園の北ゲート横に移設されており、たたりのお話 は聞かなくなりました。今でも地元の方に大切に祀られています。参詣される方が多いのは、そのお姿の魅力のせいかもしれません。