直方市(のおがたし)、内ヶ磯ダムの東側にある鳥野神社に庚申塔を見つけることができたので、ご紹介します。鳥野神社の参道や、参道にある鳥居などをみると、とても古い印象を受けます。こちらのサイトで調べてみると、鳥野神社の歴史は1300年前にもさかのぼるようです。五穀豊穣の神や、耳の神として、もともとは福智山の山頂に祀られていました。江戸時代、福智山山頂に祀られていた鳥野神社の上宮は「再興 福智権現」と呼ばれていたそうです。
そのためか、一ノ鳥居の額面には「福地社」と掲げられています。その後、1656年頃に、今の地に鳥野神社の本殿がつくられたとされています。これが本当ならば、この場所での鳥野神社の歴史は、約360年にもなるようです。
そんな鳥野神社の本殿にむかって右側に、今回ご紹介する庚申塔が祀られていました。本殿が築かれている同じ石垣の上に、この庚申塔のために場所をつくったと思われる、凸型のスペースがあります。
場所:福岡県直方市頓野 鳥野神社
座標値:33.753374,130.777325
そのスペースの上には「庚申遥拝」と刻まれた石灯籠、庚申塔、「龍王神」と刻まれた石塔、「??谷中」と刻まれた石塔などが祀られています。
こちらの石塔が庚申塔です↓ かなりみにくくなっていますが、石塔には「謹請 庚申尊天」と刻まれているようです。そして、中央の文字の右隣りに「元禄十三」と刻まれているように見えます。ほとんど風化しているので、半分は推測です。元禄十三年は西暦だと何年か?干支(かんし)はなんであるかを調べてみる(参照)と、1700年の庚辰(こうしん)でした。偶然にも干支が庚辰なので、元禄十三年の建立であっているようにも思えます。
中央の文字の左隣りには、かろうじて「月二十」という文字が見えます。何月に建立されたのかは、はっきりとしません。ただ何月かはわかりませんが、二十日に建立されたことが予想されます。
庚申塔の下側には講中(こうじゅう;信仰者メンバー)の名前が刻まれています。庚申塔の両側面、背面には文字は刻まれていませんでした。
庚申塔のとなりに祀られていた石灯籠には「庚申遥拝」と刻まれています。同じく、その石灯籠には文政十の文字が見えます。文政十年といえば、1827年。庚申塔の予想建立年が1700年です。
庚申塔がはじめに祀られ、その後に、この石灯籠がたてられたのでしょう。それにしても「庚申遥拝」とはなんなのでしょう?遥拝とは、遠く離れた場所から対象となる神様などを拝むことなのだそうです。この鳥野神社ができた経緯をたどると、もともとは福智山山頂に神様が祀られていました。この山頂におられる神様を、鳥野神社境内から拝むという目的のために、「庚申遥拝」と刻んだ灯篭がつくられたのではないでしょうか。
福智山山頂には登れないけど、この庚申塔に拝むことで、山頂におられる神様を拝む…という祈りの場所なのだと考えられます。