北九州市小倉南区から福智山系を越えて、八幡西区へと移動しているときに、猿田彦庚申塔をたまたま見つけることができました。
北九州市小倉南区を南北に走る国道322号線があり、これを南方向へと車を走らせます。徳吉という交差点で国道322号線から県道258号線が分岐するので、258号線へと進みます。分岐点から150mほど行くと、左側に下の写真のような庚申塔を見つけることができます。
場所:福岡県北九州市小倉南区徳吉南
座標値:33.8103789,130.8557627
庚申塔の前にはコンビニのミニストップがあります。
庚申塔のすぐ隣の敷地には北都観光バスの会社があって、少し道幅が広くなっていたため、少しだけ車を停めさせていただきました。
庚申塔には「猿田彦大神」と刻まれ、その文字に向かって右側に建立年が刻まれているようです。
この建立年の判読が難解です。「文化二七歳」と刻まれているように見えますが、文化という年号は十五年までしかありません。よって二七は間違いとわかります。
他にはどう読めるのか推察してみます。「二」は確実に刻まれているようなので、文化二年と推察してみます。ときどき年数とともに、その年の干支(かんし)の一文字が刻まれていることもあります。文化二年の干支は?乙丑(きのとうし)です。「七」に見える箇所が「丑」に見えないか?
見えません。丑と読むには、なかなか難があります。
それでは「二」と刻まれている箇所が、もしかしたら「一」あるいは「十」なのかもしれないと推察してみました。仮に「一」としたら「一七」…つまり文化十七年となります。しかし文化は十五年までしかないので、これも当てはまりません。
そもそも「文化」と読んでいる箇所が「文」のつく他の元号なのでは?「文」がつく元号で、庚申塔が造られている江戸時代を調べてみると、「文化」「文政」「文久」の三つのみです。そのどれもが15年以内に終わっています。そのため、「二七」が当てはまる元号はここにもありませんでした。
まとめとして、一応この時点では「文化二七歳」と刻まれていると判断しておきます。しかし文化(元号)には27年はないので、刻まれている文字が表している意味は不明であるとしておきます。
こちらの庚申塔も、google マイマップ「福岡県の庚申塔」に登録しています。