座標値:33.886342,130.877566
上の写真は、北九州市 小倉の街なかを流れる紫側に架かる木造の橋で、常盤橋(ときわばし)と呼ばれています。この橋から九州各地への街道がのびるので、街道のスタート地点となる橋です。常盤橋は数度、架け替えられたそうですが、いちばんはじめに架けられたのが江戸時代初期のころ。
架けられた当初は「大橋」という名であり、元禄5年~7年に架け替えられてから、常盤橋と呼ばれるようになったそうです(参照:北九州HP 常盤橋)
常盤橋の西側の岸には昔、大きな港があり、ここで下関からの船が出入りしていたそうです。旅人たちは、常盤橋の左岸北側の港から常盤橋を通り、小倉の町へと入ってきて、紫側の東側…つまり商人の町で宿をとっていたのだそう。
常盤橋の西側には、この橋が架けられた当時つかわれていた橋脚が残されています。残されているといっても、川の中に立っているというわけではなく、橋の改修工事の際に出土したものを掘りだし、それを展示しているものです↓
この橋脚には文政5年…つまり西暦1822年の銘が刻まれているそうです。
同じく、常盤橋の西側に「大門」という地名がありますが、ここにはその地名のとおり大きな門があって、門の内側には武家屋敷がならんでいたと考えられます。
小倉城下町は、細川忠興が京都をモデルにして造る。城下を流れる紫側を挟んで西に武家屋敷、東に商人町を開かせた。この室町という名も京都へのあこがれか(参照:長崎街道を行く(松尾卓次著)P183)
現在は「武士の町」にあたる場所は市役所や小倉城跡とともに、商業施設であるキャナルシティ小倉が建設されています。↓写真はイルミネーションとともに撮った現在の小倉城です。
一方、「商人の町」にあたる場所は、その歴史をひきついで、今でもたくさんのお店が軒をつらねています。
夜でも街なかにある史跡は、真っ暗闇に溶けてしまっていないものもあります。街なかにある史跡を、夜に探し歩いてみるのも楽しいということに気づかされた常盤橋でした。