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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

公平性を標準化する ‐伝承「升塚」と判断の衛生管理‐

仕事をすすめることにおいて、おおきな課題とは何でしょうか。「失敗」や「悪意」…以外にもっと静かで、目に見えにくい課題があると考えられ、「基準の不在」が生み出す「ノイズ(判断のばらつき)」であると考えられます。

場所:福岡県北九州市小倉南区西水町

座標値:33.851673,130.892278

 

北九州市小倉南区に伝わるある古い伝承「升塚ますづか」を訪問した際に考えたことをまとめてみます。「見えないコスト」と、それを解決するための「システム構築」の本質について、ダニエル・カーネマンらの著書『NOISE』の理論とからめながら記してみたいと思います。

 

『北九州市史(民俗)』P.820に”升塚ますづか”が紹介されています。市史の概要を以下に引用してみます。

 

1. 升塚ますづかの概要

場所: 小倉南区西水町の「貴布祢きふね神社」にある。

 

特徴: 白石と黒石が2つ並んで立っている。白石には梵字と「康永こうえい二(1343)年」の銘がある。

 

意味: 当時の年貢や取引の基準となる「ます」の大きさを公的に定め、それを記念した塚である。

 

2. 伝承その1:村の主の命がけの直訴

かつてこの地域(企救郡きくぐん)は領主が頻繁に入れ替わり、年貢を測る「升」の基準が定まっていなかった(不公平な状況)。これを見かねた村の主が、基準を定めてもらうため鎌倉へ上り、3年間にわたって実情を訴えた。最後は「目安箱」に訴状を投じたが、願いが叶う前に主は無念の死を遂げた。後にその訴状を見た将軍が村人の境遇を哀れみ、計量に詳しい役人を派遣して正式な「升」を定めた。

 

3. 伝承その2:悲願の達成と村人の喜び

別の説では、上司に訴えが届かないことを嘆いた者が「公(上層部)の耳に達するまでは家に帰らない」と誓い、門外で力尽きたとされる。その後、ようやく訴えが公に通り、一定の基準となる「升」が完成した。村人たちは大いに喜び、3月13日にこの丘に集まって祝いの酒盛りをし、その印として石を建てて「升塚」とした。

 

4. 地域への広がり(矢山地区の編入)
村人たちが祝宴をあげている際、京都郡(みやこぐん)矢山の者が通りかかった。

「一番に極められた升(公認の正しい基準)」ができたことを聞き、その恩恵にあずかろうと、矢山地区も企救郡(きくぐん)に加わることになったと伝えられている。

康永二年の銘が刻まれている

この「基準の不在」は、当時生活していた地域住民におおきな不利益をもたらしたと考えられます。同じ量の作物を納めても、使う升によって評価が変わる。それは、生活を脅かす理不尽なギャンブルのようなものであったことが想像されます。

課題の分析:基準の不在が招く「コスト」

ノイズが生み出す「不公平」

1300年代の住民たちが苦しめられた状況を、現代の行動経済学・心理学の視点、特に書籍『NOISE』の理論で分析すると、「システムノイズ」という問題をみることができます。

 

『NOISE』では、判断におけるエラーを「バイアス(系統的な偏り)」と「ノイズ(ばらつき)」に分けて定義しています。 「バイアス」が全員が同じ方向に間違えること(例:全員が常に厳しすぎる)だとすれば、「ノイズ」は人によって、あるいはその時々の状況によって判断がバラバラになることを指します。

 

当時、升の大きさが定まっていなかった状況は、「判断のあるところノイズあり」という原則そのものであることがみてとれます。 ある役人は大きな升を使い、別の役人は小さな升を使う。これを別のたとえで言うと、同じ犯罪を犯した被告人が、たまたま担当になった裁判官の厳しさによって、執行猶予になったり懲役刑になったりする「量刑のノイズ」と同じ構造です。

 

現代組織における「見えない升」

書籍では、こうした状況を「制度的宝くじ(システムノイズ)」と呼び、強く批判しています。 「どの担当者に当たるか」という運次第で、税金の額や刑罰、あるいは保険料が変わってしまう社会は、公平性が著しく欠如しており、人々の信頼を損ないます。

 

働いている職場におきかえても、あてはまる場面があるのではないかと考えられます。「明文化されていないルール」や「人によって異なる判断基準」がたくさんあるように感じます。

 

• A課長は「残業してでも終わらせろ」と言うが、B課長は「定時退社が正義」と言う。

 

• ある担当者は顧客の要望を柔軟に受け入れるが、別の担当者は規則一点張りで断る。

 

基準(升)が統一されていない職場では、働くひとは「誰の顔色をうかがえばいいのか」という無駄な推測にエネルギーを浪費します。これは職場…組織…にとって「莫大な見えないコスト」となります。「基準がない」ということは、単なる効率の低下だけでなく、組織に対する不信感と精神的な摩耗を生み出すと考えられます。



プロセスの検証 ‐率先した行動とシステムの確立‐

3年をかけた「公認の升」

伝承によれば、この状況を憂いた村の主(長)は、自ら鎌倉幕府へ直訴に向かいます。往復になんと3年もの歳月を費やし、ついに幕府公認の「升」を持ち帰りました。この村の長の行動がすばらしいと感じるのは、単に目の前の「あくどい役人」を追い払ったのではなく、「公認の升」という「ずっと使うことができるシステム(ルール)」を持ち帰った点にあると考えます。

 

ルール(アルゴリズム)はなぜ優れているか

『NOISE』のなかで、著者のカーネマンらは「ルールやアルゴリズムが人間の判断より優れているのは、単純にノイズがないからだ」と断言しています。 人間は、その日の気分や体調、直前の出来事によって判断がブレてしまいます(機会ノイズ)。しかし、物理的な「升」や、明確に定義された「ルール」は、いつ誰が使っても同じ結果を返します。

 

村の長が持ち帰ったのは、「判断のばらつき(ノイズ)をゼロにするアルゴリズム」だったと考えることができます。書籍には、「単純なルールに従うだけで、専門家の複雑な判断よりも精度が高くなる」という研究結果が示されています。村の長は、個人の裁量や感情が入る余地をなくし、物理的な規格(ルール)に判断を委ねることで、地域に公平性をもたらしました。

 

公平性がもたらす波及効果

基準が明確になったことで、となり地区の矢山地区の人々までもが、この「基準となる升」を使うシステム(企救郡)への参入を希望したといいます。 これは、「ノイズのない公平なシステム」がいかに人々を惹きつけ、信頼を生むかを象徴しています。不確実で理不尽な『くじ引き』のような世界よりも、予測可能で公平なルールのある世界が、一般的には望まれるのではないかと考えられます。単なる感情的な好みの問題ではなく、個人のパフォーマンスを最大化させるための、合理的な志向だととらえることができます。

 

現代的応用:デジタルの「升」を作る

『NOISE』では、ノイズを減らすための手法として「判断・ハイジーン(衛生管理)」という概念を提唱しています。これは、特定の病気を治す治療ではなく、手洗いのように「予防的」にエラーを防ぐための手順です。

 

ツールを活用した「構造化」

1. 情報の構造化とルールの明確化

書籍では、判断を分解し、独立して評価する「構造化」の重要性が説かれています。 例えば、NotebookLMのようなAIツールを活用し、分散されている業務マニュアルや、過去の事例などを「知的資産」として統合することは、現代の「升」作りと考えられます。AIは感情や疲労によるノイズがないため、常に一定の基準で情報を整理・提示してくれます。

 

2. 共有された尺度の導入

「良い企画」「頑張っている部下」といった曖昧な言葉は、ノイズの温床となります。 書籍では、人事評価において「相対的な判断」や「共通の尺度(ケース尺度)」を用いることでノイズを大幅に減らせるとしています。 メモアプリやタスク管理ツールを用い、「何をもって良しとするか」という基準(アンカー)を具体的な事例とともにチームで共有することで、個人の主観によるばらつき(レベルノイズ・パターンノイズ)を防ぐことができます。

 

例)ホテルの「ベッドメイキングの見本写真」

新人スタッフに「きれいに掃除して」と指示するだけでは、人によって「きれい」の定義が異なります。これが「主観によるばらつき(ノイズ)」です。

 

このノイズを防ぐために『この状態が100点満点の完成形です』という写真を、スマホでいつでも見られるようにしておく。

 

効果: 具体的で動かしようのない「正解(アンカー)」があることで、個人の感覚に頼らず、全員が同じクオリティを再現できるようになります。

アルゴリズムを味方につける

カーネマンらは、「アルゴリズム(単純なルール)の使用は、人間の判断におけるノイズを排除する唯一の方法である」と述べています。 日々の仕事において、「Aの場合はBをする」といったシンプルなチェックリスト(アルゴリズム)を導入することは、創造性をなくすことではないと考えられます。むしろ、不要な迷い(ノイズ)を排除し、人間が本来注力すべき「共感」や「複雑な意思決定」にリソースを割くための土台となると考えます。


共通の物差し(標準化されたプロセス)を持つことは、個人の「経験から導かれる勘(当てずっぽうの判断)」を減らし、チーム全体の業務負担と精神的ストレスを軽減することに繋がります。

 

まとめ

西水町の「升塚」は、地道に「公平な土壌」を整えようとした、リーダーの貢献の記録であると考えます。『NOISE』の”結び”で、著者たちはノイズ削減の取り組みを「見えない勝利」と表現しています。 手洗いを徹底して感染症を防ぐのと同じように、ノイズを減らすためのシステム構築は、それが成功しているときほど「何も起きない」ため、称賛されにくいと予想されます。手術が成功すれば外科医は感謝されますが、手洗いを徹底して感染を防いだスタッフが個別に感謝されることはありません。

 

しかし、3年をかけて「升」を持ち帰った村の長のように、「予測可能な公平性」というインフラを整えることこそが、結果として最も多くの人の手助けをおこない、組織を繁栄させる方法であると考えられます。