『知性について』ショーペンハウエル著,細谷貞雄訳.岩波文庫
哲学とその方法について,P11‐12
哲学するために最初に求められる二つの要件は、第一に、心にいかなる問いをも率直に問い出す勇気をもつということである。そして第二は、自明の理と思われるすべてのことを、あらためてはっきりと意識し、そうすることによってそれを問題としてつかみ直すということである。最後にまた、本格的に哲学するためには、精神が本当の関心をもっていなくてはならない。
精神が何かの目的を追求し、そのために意志に誘惑されるというようなことがなく、直観的世界と彼自身の意識とが彼にさずけてくれる教示を余なく受け入れるのでなくてはならない。これに反して、哲学教授たちは、自分自身の個人的な利害得失やそれへの手づるなどに気をくばっている。そこに彼らの本意があるわけである。それゆえに、彼らにはおびただしい歴然たる事実がまるで眼に入らず、それだけでなく、せめて哲学の諸問題についても、本気になって省察するということがただの一度もないのである。

当たり前を疑い、深く考える習慣を持つこと
日々の生活の中で、多くの情報や習慣を「そういうものだ」と受け入れがちですが、「本当にそうなのだろうか?」「なぜそうなっているのだろう?」と自分自身に問いかけ、表面的なことだけでなく、その背景や本質をじっくりと考える習慣を持つ必要があります。そうすると、新しい発見があったり、問題をより本質的に解決できたりすることがあると考えます。
例えば、情報に接するとき、ニュースやSNSで得た情報をうのみにせず、「これは本当に正しい情報か?」「他に違う見方はないか?」と多角的に考えることで、誤った情報に惑わされにくくなると考えます。流される情報には、発信者の意図や背景、あるいは情報の切り取り方によって、特定の見方への偏り、不正確な内容が含まれている可能性があります。批判的に情報をみて、疑問をもって情報に接する習慣を持つことで、誤った情報や偏った見解に惑わされるリスクを減らせるのではないかと考えます。
人間関係において、相手の言動に対して、「なぜあの人はそう言ったのだろう?」「他に何か理由があるのかもしれない」と、一歩立ち止まって考えることで、誤解が減り、より深く相手を理解できるようになるかもしれません。表面的な情報や感情に流されず、その奥にある、その人の真意や背景を推し量ることができるかもしれません。相手の言葉や態度、あるいは外見を、自分のフィルターを通して解釈しがちであり、そのフィルターが誤解の元となることもあります。相手がそっけない態度をとったりしても、単に機嫌が悪いからではなく、体調が優れないのかもしれない、何か個人的な悩みを抱えているのかもしれない、というように、いろいろな可能性を想像してみることで、相手に対する一方的な決めつけを防ぐことができると考えます。すぐに反応するのではなく、一度「間」を置くことで、感情的な対立を避け、より冷静に状況を分析する余裕ができるのではないでしょうか。
仕事や家事では、「いつもこうしているから」というやり方だけでなく、「もっと効率的な方法はないか?」「この作業の本当の目的は何か?」と考えることで、改善点を見つることができる可能性があがると考えます。
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「深く考えて、本質を見極めようとする姿勢」を保つことを、この文章を示していると考えます。