・枝光八幡宮内にまつられると思われる貴船神社
・枝光八幡宮内にまつられると思われる豊日別神社(推定)
…これらの神社をさがしに、枝光八幡宮へと参拝しました。
八幡東区の枝光の大蔵の境の丘の一番高い所を、昔は「豊前坊」と呼んでいた。そこには大正の末ごろまで「豊日別神社」という小さな神社があった(現在は枝光八幡宮境内に移されている)。彦山の豊前坊を勧請したもので、明治の初めごろまでは、枝光村の牛馬の守護神として、例祭日は大変にぎわったと伝えられている。(『北九州市史』P.593)
この記載をもとに豊日別神社を、枝光八幡宮境内で探してみます。また、八幡東区の高炉台公園の一角に、貴船神社跡がありますが、この貴船神社が枝光八幡宮の境内に、1976年、遷座されました。この貴船神社が枝光八幡宮に実際、祭られているのかも確かめてみたいと思います。
枝光八幡宮を訪問しました。
場所:福岡県北九州市八幡東区諏訪
『北九州市神社誌(北九州史跡同好会)』P.112‐113に、枝光八幡宮のことが記されています。
【祭神】
神功皇后、比売大神、応神天皇
(武御名方命、須佐之男命、高靇神)
【由緒】
建久五年(1194)、城主麻生重業が、下野宇都宮より招請し、同氏の總廟として該村宮田山に崇祀した。寛永四年(1627)の秋、該村諏訪山の今の地に社を営遷して祀った。( )内の三祭神は元、この諏訪山に最初より祭られる神で、諏訪神社と称えていたが、創立年代は不詳である。
前記の八幡大神を宮田町に祀り、諏訪社を呼んで「上の宮」と云い、八幡神社を「下の宮」と云っていたと俚老の口碑に存する。
後寛永四年秋、八幡大神を宮田山よりこの地に遷して祀った。
明治五年十一月三日村社。大正十五年八月三十日県社。
【例祭】
陰暦八月十四日・十五日。
【境内神社】
伊勢神社(天照大神)
大山積神社(大山祇神)
豊日別神社(豊日別命・猿田彦命・大山祇命)
恵比須神社(事代主命)
天満神社(菅原神)
中臣神社(道祖神・市杵島姫命)
【由緒】の部分を、わかりやすく、意訳したものが以下の文章です。
この神社の歴史は、建久五年(1194年)、今からおよそ800年以上前にさかのぼります。当時のお城の主だった麻生重業(あそうしげなり)という方が、遠く栃木県の宇都宮から神様を招き、自分の家の一族代々の先祖を祀る大切な場所として、宮田山という場所に神社を建ててお祀りしました。
その後、寛永四年(1627年)の秋には、この宮田山から、現在の諏訪山という場所に移転し、社殿を新しく建ててお祀りし直しました。
ちなみに、この(括弧書きで書かれている)三柱の神様は、もともとこの諏訪山に最初から祀られていた神様で、以前は「諏訪神社」と呼ばれていました。いつ頃建てられたのかは分かりません。
古い言い伝えによると、宮田町にお祀りしていた八幡大神(はちまんおおかみ)を「下の宮」と呼び、諏訪山にもともとあった諏訪の神様を「上の宮」と呼んで区別していたそうです。
そして、寛永四年(1627年)の秋に、「下の宮」と呼ばれていた八幡大神を、宮田山から現在のこの場所(諏訪山)に遷し、お祀りしました。
明治五年(1872年)の11月3日には、村の神社として認められ、さらに大正十五年(1926年)8月30日には、県の神社として認められるようになりました。
この記録のなかの境内神社のなかにも、"豊日別神社(豊日別命・猿田彦命・大山祇命)”が記されています。
枝光八幡宮の境内の様子です▼
本殿にむかって右側へと進むと、貴船神社が祀られていました。
貴船神社の案内板には以下のように説明がされています。
麻生氏より宇中名に鎮祭され明治三十九年製鐵所事業拡張のため熊本山に奉遷。戦火により社殿を消失。昭和五十一年二月、この地に奉遷さる
案内板の内容を、わかりやすくしたものが以下の文章です。
貴船神社は、もともと麻生家という一族によって、宇中名(うちゅうめ)という場所に静かに祀られていました。ところが、明治三十九年(1906年)、近くに製鉄所が大きく事業を広げることになり、そのため、神社は熊本山(現在の高炉台公園)という場所に移されました。しかし、その後に戦火に見舞われ、残念ながら社殿は焼失してしまいました。そして、昭和五十一年(1976年)の2月に、現在のこの場所(枝光八幡宮の境内)へと再び移され、今に至ります。
この文にでてくる熊本山というのは、現在の高炉台公園です。当時は高炉台公園一帯の山が「熊本山」と呼ばれていたようです参照。
いっぽう、枝光八幡宮内には豊日別神社らしき神社はみあたりませんでした。貴船神社の、すぐとなりに石祠がまつられていましたが、この石祠にはなにも刻まれておらず、不明。
本殿にむかって左側には、木製の鳥居がある境内社が祀られています。
鳥居の扁額に、文字が見えますが、かなり風化がすすんでおり、なんと書かれているのかわかりません。画像を加工して文字をみえやすくしてみます。
「中臣神社」と書かれているようです。Omairiというサイトを参照すると、中臣神社の御朱印もいただけるようで、この神社が咳の神様が祀られている中臣神社である可能性が高いと考えます。
中臣神社のすぐとなりには、咳の神様が祀られています▼
その他、境内をみわたしてみても、豊日別神社はみあたりませんでした。