日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

新宮八幡の鳥居両側にまつられる二基の庚申塔 大分県玖珠郡玖珠町大字塚脇

大分県玖珠郡玖珠町の塚脇という地区に、新宮八幡が鎮座します。鳥居の両側に庚申塔が二基まつられていました。

鳥居に向かって右側の庚申塔↓

場所:大分県玖珠郡玖珠町大字塚脇

座標値:33.266820,131.162095

 

久しぶりに、猿田彦大神ではなく、「庚申塔」と刻まれた庚申塔に出会えた気がします。

台座に天保四年巳八月吉日の銘が刻まれています。西暦1833年で、干支は癸巳(みずのとみ)です。

◆◆◆◆◆

 

鳥居にむかって左側の庚申塔には、猿田彦大神の銘が刻まれているのが確認できますが、その他、建立年などの文字は確認できませんでした。

場所:大分県玖珠郡玖珠町大字塚脇

座標値:33.266900,131.162108

 

案内板より船岡山についての説明の要約

 

古代

弥生時代から古墳時代にかけて人々が生活していた。
多数の石棺や土器類が出土していることから、墓地としても利用されていたと考えられる。横穴古墳群の存在は、有力者の墓地であった可能性を示唆する。

 

平安時代

清原氏の始祖である正高公が居館を構えたという説がある。
平安時代における郡の政治の中心地であった可能性がある。


近現代

昭和28年の大水害の後、土砂採取により横穴古墳群の多くが破壊された。
このように、船岡山は長い歴史の中で、人々の生活の場、墓地、そして政治の中心地としての役割を担ってきたと考えられます。