大分県の玖珠町を車で周っていると、ひと集落に1基と言っていいほどの割合で、庚申塔を見つけることができます。
座標:33.2938812、131.1319284
この綾垣(あやがき)の庚申塔も、そのひとつ。
正面には「庚申尊天」と刻まれます。
庚申塔に向かって左側の面に「恭綾垣組講中」と刻まれます。ちょっと文字が読みにくいので、全て合っているのかわかりません。
頭文字の「恭」がかすれて読みにくく、もしかしたら他の文字かも。
庚申塔に向かって右側の面には、「文政十三庚寅年三月」と刻まれます。文政十三年を西暦に直すと1830年。
文政十三年を干支(えと)で言うと「庚寅」。だから、簡単に言うと「文政十三庚寅年三月」は1830年の3月に造られた、という意味のようです。
それにしても玖珠の庚申塔は、かなりの割合で「く」の字になっています。どうしてなのでしょうか?
地元のかたの話によると、「腰がまがってきた人のことを、あんひとはコウシンさまのようと昔は言ってた」とのことです。
もしかしたら、玖珠の人たちにとってのコウシンさまは、神々しい感じの神様ではなく、腰を曲げている、ちょっと謙虚な感じの神様なのかもしれません。