『壊れた脳も学習する 』(角川ソフィア文庫).山田 規畝子著…の読書メモです。
「個別化されたリハビリ」とは、一律の訓練*1を施すのではなく、患者さんや利用者さん一人ひとりの具体的な状況、感情、そして脳の特性を深く理解し、それに基づいた支援を行うことを指します。これは、「普通の生活が最高のリハビリ」であるという考え方を前提とし、患者さんの安全が守られる環境が不可欠だと述べられています。
具体的には、まず、患者さんの内面と経験を深く理解することが重視されます。障害によって日常生活のどの局面が困難になっているのかを「障害があるから失敗した」と漠然と曖昧に捉えるのではなく、原因を突き詰めて理解することが重要だとされています。特に、患者さんが抱える不安や心配を察することが、リハビリにおいて最も重要であると考えられています。表面的な行動だけでなく、患者さんがなぜその行動をとるのか、どのような気持ちでいるのかを推測し、患者さんの世界を知ろうとする姿勢がセラピストには求められます。
高次脳機能障害の患者さんは、自分の失敗が人に見られることを恐れていたり、常に周囲を気にしていたりするケースが多く、そのため、失敗を見つけてもむやみに指摘したり、直そうとしたりすることが、当事者にとっては必ずしも嬉しいことではないと指摘されています。叱責によって行動が変わるなら、それは病気ではないからです。批判や嫌味、見下すような態度は患者さんにとって非常に苦痛であり、脳の古い部分に「嫌なもの」として記憶される可能性があるため、避けるべきだと強調されています。
特に半側空間無視の場合、不快な経験がその空間自体を嫌いなものとして記憶させ、注意を向けることをさらに困難にすると述べられています。患者さんが「疲労すると脳血管に穴を開けて困らせる」などの自身の病気固有の制約を理解し、無理をしない選択肢を持てるようになることが「成長」であるとされています。この本の著者である山田 規畝子氏自身が、モヤモヤ病という病気のために、「あまり調子に乗って疲労すると、脳血管に穴を開けて困らせてくれます」という具体的な制約を抱えています。つまり、この病気は過度な疲労が脳の血管に悪影響を及ぼす可能性があるため、無理をすることが危険を伴うという、患者さん固有の身体的特性を意味します。著者自身が、自分の体の状態や病気の特性(特に脳の損傷による制約)を深く認識し、それに基づいて自分の行動や生活の仕方を調整できるようになることが、リハビリテーションにおける重要な進歩であり、真の「成長」であると述べられています。
「できないんじゃなくてやりたくないんだよね」といった心ない言葉や、「歩けるくせに楽をしようとして友達をこき使ったな」というような、障がいを悪意に解釈されることに対する当事者の苦痛も指摘されており、こういった周囲の無理解が患者のモチベーションを低下させることになります。
患者さんの自己発見と内発的動機の促進は重要な要素です。リハビリは、介護者ができないことを一方的に理解させるのではなく、患者さん自身が自分の失敗の傾向を認識し、その対策を自分の脳で考えることに意味があるとされています。繰り返し練習の中で「コツ」を見出すことは、脳の可塑性を証明するものであり、経験を蓄積し、次の行動に活かす人間の脳の能力を示しています。周囲は「ここまで手伝うからあとはやってごらんなさい」という形で、隠れている機能を自然に自分で使えるような手助けをすることが理想的であり、また、ほめや共感、理解を周囲が示すことが、患者さんのモチベーション向上に繋がるとされています。
患者さん自身が「私はどうしたいのか?」「今、何に困っているのか?」と立ち止まって考えられるよう手助けすることがセラピストの役割とされ、セラピストの質問が、患者さんの中で「自分はどう思っているの?」という「一人称の対話」を生み出すように聞くことが重要であると述べられています。
リハビリ医や施療者は、患者さんの生活や背景を観察・分析し、患者の脳や行動の傾向をつかむべきであり、一律の訓練は意味が薄いとされています。プロの仕事とは、「何をしてほしいか」と聞くまでもなく、「この人のために今、私には何ができるか」を考えることだと明記されており、これは主婦の経験から「病気の人がいたらこうしてあげるだろう」という感覚で行動するヘルパーの例で具体的に示されています。
患者の安全が守られる環境を前提として、「動かない手を動かす時には、手を睨みましょう」のように、注意のスイッチを入れるための具体的なアドバイスが有効な場合がある一方で、従来の「左から声をかけましょう」「左に赤い印を付けましょう」といった指導では、特に空間無視の回復はほとんど見られないとされており、患者さん自身がどういう経験をしているのかが見過ごされていると指摘されています。
セラピストは、患者さんの気持ちを害することなく、患者さん自身が「左側を見てみようかしら」と思えるような誘導が重要であり、例えば、左側からアプローチする前に「あなたの左手の方に回りたいんだけれど、回ってもいいですか」と尋ね、患者さんがそれを受け入れるかどうかを確認するなどの配慮が、患者さんの経験の質を大きく変えます。最終的に左側に回るとしても、患者の同意を得ることで、同じ現象でも患者の経験の質は全く異なるものになるという深い洞察が示されています。
また、セラピストは常に自身の「立ち位置」を患者さんの方にずらし、患者さんの世界を理解しようとする姿勢が不可欠であると強調されています。このアプローチは、患者さんがリハビリを継続していく上で悪い経験をしないよう、そのポイントを見つけ出して対応する、非常に時間と労力を要する「オーダーメイドのリハビリ」であると結論付けられています。「教養とは人の気持ちが分かる心である」と述べられており、他人の気持ちを理解し、尊重する姿勢が、リハビリや介護において不可欠であることが述べられています。
*1:病院・施設・デイサービスなどにおいて、患者さんや利用者さんの状態やニーズに関わらず、全員に同じ内容や方法で提供される訓練を”一律の訓練”と呼びます。例えば、一般的なデイサービスで、参加者の要介護度や身体機能にばらつきがあるにもかかわらず、全員が同じ集団体操や機械を使った訓練を行うようなケースが一律の訓練になります。このような一律の訓練では、個々の利用者にとって効果が薄かったり、逆に負担になったりする可能性も考えられます。