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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

道祖神と周辺の町の様子 福岡県北九州市八幡東区荒生田

北九州市八幡東区の荒生田という地区に道祖神が祀られています。下の写真は、荒生田一丁目東公園の一角を写したものです。写真中央部に、円のなかに十文字が刻まれた石塔が立っています。

場所:福岡県北九州市八幡東区荒生田

座標値:33.865144,130.832711

「丸のなかに十文字」の刻印以外に確認できる文字などはみられません。石塔のそばに立てられている案内板には以下のように説明がされています。

 

道祖神

 

荒生田(あらうだ)・高槻(たかつき)地区には、江戸時代から猿田彦や道祖神信仰があり、現在も神社や道路脇に大切に祀られています。

 

この自然石も、上部に円相(えんそう)が刻印されていること、荒生田村の入口である街道筋にあることなどから無銘の道祖神と考えられますが、建っていた当初の云われ等が全く不明の為、推測の余地しかありません。また、陰刻されている円相が二重であること、円相内の刻印が十字とすれば、他に例の無い大変珍しいものです。今後の検証や情報の提供を求めています。

 

道祖神が祀られる荒生田一丁目東公園ふきんには、昔、小笠原藩の番所がありました参照。そして、その番所が建つ土台部分の石垣は「鏡積み(かがみづみ)」という珍しい積み方がなされていたそうです。「鏡積み」という石垣の積み方がどういうものだったのかを調べてみると、”石垣の表面を大きな石で飾る”参照、”形や大きさが違う石を隙間なく積み上げる”参照、という特徴があるようです。鏡積みで積まれた石垣は、もしかしたら脆い特徴があるのか、2022年現在では各石の隙間には崩れないように白いコンクリートが練りこまれているようです。

「鏡積み」でつくられた石垣

道祖神がある荒生田一丁目東公園の周辺地区を「今昔マップ」で確認してみます。公園のすぐ北側をはしる県道296号線は、長崎街道であった道で、昔は路面電車が走っていた道でもあります。私が小さい頃は、まだこの路面電車が走っており、これに乗って到津遊園地(いとうづゆうえんち)へ行っていた記憶があります。到津遊園地とは異なりますが、下の大正11年の地図をみてみると、道祖神のある場所から南東へいった場所に「遊園地」の文字が見えます。現在でいうと「東鉄町」という地区です。この遊園地は現在はなく、住宅街となっています。

そして、路面電車の走る道の北側には「官舎」という文字がみえます。ここは八幡製鉄所で働かれている方々の公営住宅があった場所のようです。

 

明治 31 年時点で購入していた用地約 1 万 7 千坪に約 6 万坪を追加購入、総戸数 1200 の一大官舎街を建設した。今和次郎氏が訪れた高見社宅はこの官舎団地である。この大蔵方面官舎のうち、製鐵所に隣接する高見山にあった高等官官舎をまるごと解体移設した一帯には高見町の名前がつけられ、通称高見官舎と呼ばれるようになり、職工長屋が
新設された一帯は、一条から六条町と命名されたが、一般的には旧来の字(あざな)
をとって槻田あるいは大蔵官舎等の名前で呼ばれた。この当時の製鐵所人員規模は 6 千~ 7 千であり、依然官舎不足の状態が続いていた。

 

八幡製鐵所の官舎・社宅開発と市街地形成

(八幡製鐵所史料アドバイザー菅和彦)

↑PDFです

 

この官舎の西側約2.5㎞地点には八幡製鉄所があり、そこまで路面電車が走っています。地図を眺めてみると、とても通勤のしやすい場所に官舎が建てられていたことがわかります。官舎に住まれているかた向けに、遊園地がつくられたんじゃないかと想像がふくらみます。