大分県の国東(くにさき)半島へ庚申塔をさがしにいっていたとき、少し変わった神社に、立派な仁王像と手水鉢があったためご紹介します。
鳥居があって神社のようですが、寺院のように立派な山門と仁王像も設置されています。ここは牛頭天王(ごずてんのう)社といいます。珍しい名前の神社だとおもって調べてみると参照、牛頭天王は”神仏習合の神”とされていることがわかりました。
山門の前に石造仁王像がまつられています。国東半島らしい、ずんぐりむっくりの愛嬌のある仁王様です。
場所:大分県国東市国東町原
座標値:33.5652924,131.6970212
阿形像(あぎょうぞう)↓
口を開いて、左手をあげ、右ひじをやや曲げ腰にあてています。右足は、やや斜め前方へふみだし腰をひねっているようです。左手は欠損していますが、指を全部「かっ」と開いていた左手が、昔そこにあったのかもしれません。表情は、周囲を威圧しているというより、少しわらっているように見えるのがユニークです。
吽形像(うんぎょうぞう)↓
吽形像のほうは、阿形像と比較し、保存状態が比較的良いです。口をむすんで、右手をあげ、左手を腰にあてています。左足を左方向へふみだし、腰をやや左方向へひねっています。吽形のほうは憤怒の表情が、はっきりと読み取れます。
阿形吽形あわせて、山門を通るものを威圧するようです。阿形の頭髪は無く、吽形のほうは頭髪の先端を結っています(参照:『国東半島の石造美術』P.251)。
肉体は筋骨隆々に表現されています。ひとつひとつのパーツが大きく太いです。これがずんぐりむっくりな印象となっているのかもしれません。
町有形文化財
石造仁王像
(昭和39年11月30日指定)
阿形像の台座に「文政七年申二月」の銘があります。文政七年は1824年、干支は甲申(きのえさる)です。
吽形像の台座には「氏子中」の銘。
山門をくぐり境内にはいると、めずらしい手水鉢が設置されています。柱と屋根がついているような恰好の手水鉢です。
さらに手水鉢の壁部分に龍と波、雲らしき細かい文様も刻まれています。とても凝った造りをしています。
手水鉢の裏側には氏子とおもわれる方々の名前が刻まれています。ほかにも「□村中(□部分は読み取れず)」や、「力夫」の文字がみえます。
力夫は、その漢字のイメージから、この手水鉢を設置した方々を指しているのでしょうか。
桜のきれいな季節の訪問でした。