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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

ここに馬頭観音さまが祀られる理由 福岡県北九州市若松区蜑住

北九州市若松区に蜑住(あまずみ)という地区があります。地図をみると蜑住の北側2.2㎞には響灘(ひびきなだ)がひろがり、さらに南東約5㎞には洞海湾(どうかいわん)という湾があります。そして蜑住の南西約3㎞には遠賀川がながれています。

 

ずっと以前は、洞海湾は現在よりも広く、遠賀川の流域も広かったため、若松区はひとつの「島」のようになっていたといいます。それがわかる地図がこちらのサイト(2017遠賀川の歴史)で紹介されています。

 

縄文時代の遠賀川は川というよりも湾のようになっていて、ずいぶんと内陸部まで幅の広い川がひろがっていたのですね。

 

「島」のようになっていた昔の北九州市若松区には、”海人(あま)が住んでいた”といわれ、その云われから”あまずみ”という音の地名がついたといわれます。

 

現在、あてられている”あまずみ”の漢字は”蜑住”です。”蜑”の文字はしらべてみると、ひともじで、”海人、漁夫”を意味します参照

 

そんな蜑住という地区の南側入口ぶぶんに、↓下の写真のようなお堂がたっており、そのお堂の前に馬頭観音がまつられています。

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場所:福岡県北九州市若松区蜑住

座標値:33.9024658,130.7124151

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馬頭観音を祀る目的は…

 

①牛馬の安全守護

②牛馬供養

 

…です(参照:『石の宗教 (五来重著)Kindle位置番号3532の2816)。若松区の蜑住地区も田畑の作業で牛馬をつかっていたために、その健康をいのるために馬頭観音をここに祀ったと考えられます。

 

 いっぽうで、北九州市若松区の歴史にくわしいかたに、蜑住ではむかし養蚕業がおこなわれていたことがある…という話を聞いたことがあります。

 

石の宗教 (五来重著)』第七章 馬頭観音石塔と庶民信仰…という項で、養蚕と馬頭観音との関係が紹介されていて、もしかしたら、蜑住地区に祀られている馬頭観音石塔も養蚕と関連があるのではないかと想像してみました。

 

 そもそも養蚕(虫)と馬頭観音(牛馬の神様)という、いっけん関連がなさそうな事柄が、どこがどうなってつながるのでしょう。そのつながりが紹介されている本の箇所を抜粋すると以下のようになります。

 

山の神は田に降りて稲作を守ると信じられた。したがって山神はまた養蚕を守る神ともなって、その乗物としての馬もまた養蚕の神となり、これを馬頭観音としたために、養蚕地帯にはとくに馬頭観音の造立が多かったものと考えられる(『石の宗教 (五来重著)』Kindle位置番号3532の2865)

 

 江戸時代の農民にとって、馬と蚕ほど生活に密着した動物、生物はいなかった。犬や猫はいなくても生活できるが、馬と蚕は生活の根源であった。そのためかどうかまだはっきりしないが、馬頭観音は馬と蚕を一身に荷って、これを守護する神または仏として、石像、石塔化されたのである(『石の宗教 (五来重著)』Kindle位置番号3532の2870)

 

馬と蚕は江戸時代では、どちらも生活の糧の中心で、同じくらいに重要な存在であったということが、馬と蚕をつなげる要因となったようです。これら2つの動物を守る神様として「馬頭観音」というひとつの仏様が選ばれたのですね。

 

馬頭観音さまとつながりのある興味深い言い伝えとして「オシラ祭文」参照がありますが、ながくなるのでここではご紹介しません。

 

北九州市若松区蜑住にまつられる馬頭観音さまが、養蚕と関連があるのではないか…というのはわたしの想像です。ふつうに牛馬の守護としてまつった馬頭観音さまかもしれません。でもいろんな想像をかきたててくれる石塔でした。

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