『石の宗教』.五来重…の読書メモです。「石の宗教」や庶民信仰は、2025年の現在の日本に、息づいているのでしょうか?実生活に関わることがあるのでしょうか?
おそらく、「石の宗教」や庶民信仰は、その形を変えつつも、日本に深く息づいており、実生活にも無意識のうちに関わっていると考えられます。
日本文化の根底にある「固有文化」
現在の日本仏教が「日本人の民族宗教と庶民信仰が、未分のまま仏教の衣をつけただけのもの」であると、本書のなかでは述べられています。つまり、もともと日本人が持っていた自然への畏敬の念や先祖を敬う気持ち、地域ごとの祭りや風習といった民族的な信仰や、庶民の間で日常的に行われてきた様々な慣習が、仏教の教えや儀式、お寺という枠組みを通して表現されているということです。仏教本来の教えと、日本の民族固有の信仰がはっきりと区別されていない、あるいは融合してしまっている、と述べられています。*1*2
また、「庶民はつねに変わることなく民族固有の文化や思想をまもってきた。固有文化の泥臭さが、日本の本質なのである」と強調されています。これは、外来の文化が流入しても、その根底には日本人固有の信仰、すなわち「石の宗教」のような自然宗教が受け継がれていることを示唆しており、現代においてもその影響は続いていると考えられます。*3*4*5*6*7*8
路傍の石仏・石塔の存在
「石塔、石仏、石碑は雨の日も晴の日も路傍に立って、通る村人にほほえみかけ、見る人の心を和ませる。それは子孫に何ものこせなかった先祖たちの、心の遺産であろうとおもう」と述べられています*9*10*11*12。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって多くの石仏・石塔が破壊された歴史があるものの、現在残っているものは「きわめて貴重」であるとされ、これら、石仏・石塔が現代の日本の風景の一部として存在し、人々の心に何らかの影響を与え続けていることが示唆されています。これはヨーロッパの石製十字架やマリア像が景観を魅力的にしているのと同様であると例示されています。
現代人の無意識下の信仰感情
「日本人の固有信仰では石には本来霊魂があるのだから、これは神にも仏にもなると信じていた」とし、それが石仏や石神、石塔が意味を持つ根拠であると述べています。*13*14*15また、巡礼の原点も「聖なる石や山や島や滝を巡ることにあった」と考察されており*16*17*18*19、現代の遍路巡りなどにもその精神的ルーツが息づいていると考えられます。現代の日本人が特定の石や場所、自然に対して感じる畏敬の念や神秘性も、こうした原始的な石の宗教、アニミズムの延長線上にあると考えられます*20*21*22。
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直接的に「石の宗教」を意識することは少なくても、路傍の石仏に手を合わせたり、賽の河原に石を積んだり、あるいは地域の年中行事に参加したりといった形で、庶民の心の奥底に根ざした信仰心や文化的な慣習として、「石の宗教」や庶民信仰は、現代日本の実生活に深く関わっていると言えるのではないでしょうか。それらは「単なる遊び」ではなく、「庶民の心の表現」であり、過ぎ去った時代の庶民の「嘆きの表現」として、見る者に共感を呼び起こすものだと考えられます。
石の宗教や庶民信仰は、「子孫に何ものこせなかった先祖たちの、心の遺産」であり、「庶民の心の表現」です。これらが路傍に存在し続けることは、現代人が自身のルーツや、過去の人々の生きざま、そして普遍的な人間の感情*23に思いを馳せる機会を与えています。意識的に「石の宗教」として利用することは少ないかもしれませんが、これらの風習が持つ「死者の魂の安寧を願う心」「現世の安穏と豊かさを願う心」「自然や生命への畏敬の念」「共同体としての支え合い」といった精神性は、形を変えて現代の私たちの心にも深く息づいており、日々の生活の中で抱く不安や願い、そして大切なものへの感謝や慈しみの気持ちとして現れていると考えます。
*1:このような謎の石は、実用品ならばかならず類似の生産用具や生活用具に連続するものである。その連続性がない以上、これは宗教用具として考察する必要がある。しかも野外の石を用いるということは、自然宗教に関係があると見なければならない。
*2:現在の日本仏教というのは、日本人の民族宗教と庶民信仰が、未分のまま仏教の衣をつけただけのものと言える。
*3:昔の外来文化は知識階級や上層階級だけが享受したもので、庶民はつねに変わることなく民族固有の文化や思想をまもってきた。
*4:固有文化の泥臭さが、日本の本質なのである。
*5:貴族たちの庚申の礼拝対象は何であったのであろうか。これはその唱え言にもあるように、三尸虫を礼拝するのでなくて、これを追い出そうとする祭であった。
*6:猿は庚申の 申 とも関係があるけれども、これを三匹とするのは三尸虫を「 去る」ことを寓したもの
*7:災禍を見ず、災禍を言わず、災禍を聞かずという意味
*8:夜を徹しての行事であるので、夜明けを告げる鶏をあらわすが、同時に鶏の鳴声ですべての禍が去ることもあらわしている。よく昔話にあるように、鬼は鶏が鳴けば夜が明けないうちに立ち去るというのも、この意味
*9:石塔、石仏、石碑は雨の日も晴の日も路傍に立って、通る村人にほほえみかけ、見る人の心を 和ませる。それは子孫に何ものこせなかった先祖たちの、心の遺産であろうとおもう。
*10:私は戦前、戦中、戦後の各駅停車の列車を利用する時期には、車窓から石塔や石仏を多く見かけた所では、すぐ次の駅で下車して、民俗の聞書をとることにしていた。そのような土地はかならず人情がゆたかである
*11:先祖と伝統を大切にし、民俗もよくのこっているからである。
*12:ヨーロッパのとくにカトリック教国では、いたるところに石の十字架とマリア像が立っている。路傍、十字路、三叉路、村の入口と出口、教会の庭と墓地、村人のあつまる広場などである。これらの石製十字架やマリア像が、人々の心を豊かにすることはいうまでもないが、ヨーロッパの田園風景や道路の 景 貌 を魅力あるものにしている。これとおなじことは日本の石地蔵や道祖神石塔、 庚申 塔、馬頭観音や如意輪観音石像などにも言える。
*13:よく不動明王や 蔵王権現 や 弥勒菩薩 を感得するというのも、常に命がけで念ずる者には、自然石も神や仏に見えるということである。
*14:自然石の護法石にも影向石にも、神の霊が籠っているというのが日本人の原始信仰である。この自然石に悪霊が籠っているということもあって、これは「殺生石」の伝説になった。
*15:日本人の固有信仰では石には本来霊魂があるのだから、これは神にも仏にもなると信じていたのである。それでこそ、石仏も石神も石塔も意味がある。
*16:自然石を石神としてまつるのは、自然の木の枝をヒモロギとしてまつるのとおなじく、もっとも原始的なまつり方である。
*17:小石が成長するという発想には、やはり日本人の石の崇拝が背後にあるといわなければならない。石に生命がある以上は、成長することは当然という考え方があったのであろう。
*18:巡礼の原点が聖なる物や山を巡ることにあるということがわかったからである。われわれは巡礼といえば、西国や坂東の三十三ヵ所観音霊場を巡ることとおもい、四国の八十八ヵ所の札所を巡ることとばかりおもっていた。ところが霊場には聖なる石や山や島や滝があって、それを巡ったのではないかと考えられるようになった。
*19:伊吹山は所々に風化をうけた露岩が急斜面に突き出しており、行道修行する岩には事欠かない。その中でとくに八合目と七合目の間にある行道岩が有名であるが、私がこれに関心をもって踏査したのは、遊行放浪の彫刻僧、円空がここで修行したからであった。
*20:石には神や仏や霊の魂がこもっているというアニミズム(霊魂崇拝) が発達していたからで、木にも金属にも道具にも霊魂の存在を認めている。
*21:最近のある随想欄に、正統仏教は霊魂の実在を認めないのだから靖国神社に戦死者をまつるいわれはない、と書いた人がいた。十七、八の青二才かとおもったら、五十過ぎの「評論家」なのである。日本人全体がインド哲学を勉強した正統仏教者と買いかぶっている。熊さんや八つあんの存在はまったく認めない 傲慢 な態度である。
*22:第四の石の宗教形態は、石面に文字や絵を彫ることである。自然石面を彫る 磨崖仏、磨崖碑もこれであり、自然石 板碑 もある。しかしこの形態では何といっても加工石面に文字や絵を彫ることになる。すなわちこれが板碑で、第三の加工造型と併用して五輪各輪や 宝篋印塔 台座に、銘や 梵字 を彫ることもある。また板碑に五輪の半肉彫レリーフを彫ったものもあって、私はすばらしい塔形だとおもっている。これは今後大いに発展性のある石造工芸になるであろう。何々翁 頌徳 碑 や道路改修記念碑、耕地整理記念碑なども、今後は芸術性と宗教性を追求して、毎日これを仰いで通る人びとの心に何物かを語りかけるものでありたい。
*23:文化や時代、場所に関わらず、世界中の人々が共通して体験し、表現する基本的な感情のこと。例えば、赤ちゃんが生まれてすぐに、文化的な学習なしに、不快なときに泣き、安心したときに笑うのは、喜びや悲しみといった普遍的な感情の表れです。また、危険を感じたときに心臓がドキドキして身を守ろうとするのは恐れの感情であり、これはどの文化圏の人にも見られる反応です。無意識のうちにこれらの感情を感じ、それに基づいて行動しています。