福岡県宮若市黒丸の清水寺というお寺の境内に、とても古いお墓の跡がのこされています。そのお墓は「古塚」とよばれています(参照:案内板)。その「古塚」のほぼ中央部分に↓下の写真のような巨大な板碑がたてられています。
場所:福岡県宮若市黒丸
座標値:33.712455,130.575331
「古塚」には、この板碑以外に、10基ほどの小さな板石塔婆が、板碑の周囲にちらばっています。野原にぽつぽつと、このような自然石の塔婆がたつ光景は、いかにも古い時代のものがそのまま残された感覚をおこさせてくれます。
これらの板碑や石塔婆はいつの時代から、この場所にたてられているのでしょう?案内板によると、およそ室町時代(1336年~1573年)と記されています。今から数えると約450年も前のことになります。
この史跡は清水寺境内にありますが、清水寺が栄えていたのが室町時代だったそうで(参照:案内板)、その期間に境内に埋葬された方たちの墓標がこれらの石塔婆だったのですね。想像するに、当時はたくさんの石塔婆がこの地にならんでいたと考えられます。
そしてズラっと並んだ石塔婆の中央に、この下の写真の「古塚自然石種子板碑」がまつられていたのでしょう。この板碑には胎蔵界大日如来を意味する種子の「ア」がおおきく刻まれています。建立年月の銘は刻まれていませんが、その造りから室町時代前期から中期ごろ(1300~1400年ごろ)に造られたとされます。
ちなみに板碑のまわりには、現在、以下の石塔が残されています。
・自然石板石塔婆10基
・宝篋印塔の塔身部分2基
・宝篋印塔の笠部分3基
・宝篋印塔の基礎部分4基
・宝篋印塔の基壇2基
・五輪塔の地輪部分1基
・五輪塔の水輪部分1基
・五輪塔の火輪部分2基
・相輪上部5基
・その他いくつかの石積み
今回ご紹介した「古塚自然石種子板碑」は、清水寺の西側85mほどの場所にある高木神社を参拝しようとしたときに、たまたま見つけたものです。
宮若市のホームページや観光マップを参照しながら、宮若市の史跡めぐりをしていますが、他地域と比較して史跡に関する情報が少ない印象を受けます。宮若市には古い建物や風景が残っているために、おそらく他にもたくさんの史跡がうもれていると考えられます。地道に各所を巡って史跡をみつけていくしかなさそうです。