北九州市内の史跡を探すときに、お世話になることが多い「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)。この本のP116に若松恵比須神社にある力石について、紹介されていました。
力石というのは、力試しに使われる石で、鍛錬のためや娯楽として、江戸時代から明治時代まで力石を用いた力試しが盛んに行われたとあります(参照:力石-wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E7%9F%B3
若松恵比須神社へ、実際に力石を探しに行ってみました。若松恵比須神社は西と東に入口がありますが、西側の入口付近に、他の古い石造物とともに保管されていました。
場所:福岡県北九州市若松区浜町
座標値:33.904854,130.812197
楕円形のきれいな形をした石です。まるで蚕の繭のような形をしています。隣にある灯篭と大きさを比較してみると、どれほど大きい石なのか判断できるのではないかと思います。この大きな石を昔の人は持ち上げていたのですね。
力石の表面には「元治年間 力士隊中 奉納 力石」と刻まれています。「北九州の史跡探訪」P116では力石のことを以下のように紹介していました。
黒田藩命により、幕末の外敵防衛のために組織された力士達の錬磨道具であった力石で、元治元年(1864年)に中ノ島の若松砲台構築に協力した力士隊中が寄進したものである。
中ノ島に砲台を設置するときに協力した力士隊により寄進されたとあります。力士といっても、土俵の上で相撲をとる”あの”力士”ではなくて、現在でいえば軍隊のようなイメージの集団のようです(参照:力士隊-wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E5%A3%AB%E9%9A%8A
中ノ島というのは若戸大橋の下にあった周囲540mほどの小さな島です。1940年(昭和15年)に取り除かれました。その場所を地図で確認してみます。
昔は河【白斗】島と書いて「かばしま」と呼ばれていました(参照:レファレンス共同データベース)
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000069997
【白斗】の部分は古い漢字なのでパソコンではでてきませんでした。
黒田長政(1568~1623)もこの小島に城を築いたそうで、昔から中ノ島は外敵からの防衛拠点となっていたようです。