日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

消滅した島にあった石が保管されている場所 福岡県北九州市戸畑区新池

福岡県北九州市の洞海湾(どうかいわん)にかつて中ノ島という小島がありました。現在でいうと若戸大橋の中央部下あたりです。

 

大型船航行が活発になるにつれ、とうとう島は削られることになりました。昭和14年10月から昭和15年12月の工事で、島は完全になくなりました。下の地図は『今昔マップ(1922-1926年)』を引用させていただいてます。

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その中ノ島にあった石が戸畑図書館前に保管されています。

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石には「河□嶋記念石」と刻まれています。□部分は石へんに斗という漢字があてられています。「河□嶋」という字は、おそらく中ノ島の正式名称である「かば島」をあらわしていると考えられます。

 

石保管場所:福岡県北九州市戸畑区新池

石保管場所の座標値:33.894882,130.829655

 

石の右側面には「昭和十四年三月廾八日」と刻まれています。「廾八日」は「28日」の意味です。

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中ノ島には工事がはじまるすぐ前まで人が住まれていました。島民向けの雑貨屋さんもあり、通常、島と両岸へのいききは手漕ぎ船だったといいます。ただ若松と戸畑の間には渡船もいききしており、その渡船は中ノ島にも寄港していたということです。

 

 

石に刻まれる「昭和14年3月28日」の日付は、島を削るための工事がはじまる約半年前です。立ちのきとなる前に島民が記念として、島の石を保管したのではないかと想像します。

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昭和11年頃の地図を参照すると中ノ島には20戸以上の家屋が確認できます。

 

島の長いほうの幅は約300m、短いほうの幅は約100mのようです。島の周計がだいたい1㎞と考えると、歩いて15分で1周まわれるくらいの大きさだったと考えられます。

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中ノ島にはむかし若松城という城が築かれていたといいます。豊前国からの侵攻をふせぐためです。

 

しかし1615年に廃城。その後、1863年に外国船からの防御のため砲台が築かれ、ふたたび要塞としての機能をもったといわれます。

 

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下のふるい地図は、『北九州・京築・田川の城(中村修身著)』のP.96に掲載されている中島城『元禄十二年若松附近古地図』です。1699年のころにはもうすでに「古城」となっていたのですね。また、このころから若松-戸畑間には渡船が運行していたこともわかります。

 

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 今回は、戸畑図書館の前にある「中ノ島にあった石」をたずねて、これについて調べた記事です。たったひとつの石からも、そのことを深くほりさげていくと、わたしの知らなかったたくさんの歴史がみえてきました。史跡めぐりの楽しさを感じさせてくれる「石」でした。