日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

どうして門司区 田野浦は遊女が働くほど栄えた街だったのか 福岡県北九州市 

地方の書店では、その土地の郷土に関する書籍を多くとりあつかっているところもあります。福岡県宗像市にある明屋(はるや)書店もそのような書店のひとつです。

 

明屋書店でなにかおもしろそうな本はないか探していると、このような本を見つけることができました。

 

北九州歴史散歩 豊前編

 

「なんて魅力的なタイトルの本なのでしょう!」と喜びながら手にとって、内容を確認してみると私にとって”どストライク”の内容が書かれていました。 どんな本かというと、メジャーな観光名所ではないないけど、北九州の歴史を垣間みることができる場所を紹介している、ちょっとマニアックな本という感じです。

 

本の内容は、機会があれば追い追いご紹介したいとおもいます。

 

今回の記事では『北九州歴史散歩』のP16-17に紹介されている「小倉藩唯一の遊女屋が田野浦」という項について書いてみたいと思います。

 

田野浦(たのうら)は北九州市門司区にある地区の名前です。この地区については、2020年1月22日に『聖山のふもとにある茶屋遊女の墓地』という記事をご紹介しました。1月22日の記事では、田野浦地区で江戸時代に働いていた遊女たちの墓所が聖山にあることを書きました。

江戸時代に海上交通の要所となった田野浦地区

江戸時代に海上交通の要所となった田野浦地区

どうして、田野浦という地区に遊女がはたらていたほど活気のある街があったのでしょう?その理由が『北九州歴史散歩 豊前編』P16に紹介されています。箇条書きで、その理由をかくと以下のようになります。

 

・古来より田野浦は交通の要衝だった

・壇ノ浦の戦いや下関砲撃事件などむかしから争奪戦が行なわれていた

・江戸時代前期、西廻り航路が開発された

・北前船の寄港地となった

・航路開発により上方と田野浦が直結した

・特に天明年間に田野浦はさかえた

・遊女屋ができた

・酒造高は企救郡最大であった

 

ようするに田野浦という地区は江戸時代、海上交通の要所だったのですね。多くのひとたちが、田野浦に寄港してから行き来していたために、歓楽街も発展していったようです。

 

上記した『遊女の墓地』は聖山のふもとにある春日神社ちかくにあります。この春日神社の鳥居には正徳3年(1713年)の銘があり、とても古い時期に建てられた鳥居であることがわかります。

春日神社の鳥居 福岡県北九州市門司区田野浦

田野浦 春日神社の鳥居 正徳3年(1713年)の銘がある

場所:福岡県北九州市門司区田野浦

座標値:33.958695,130.991775

春日神社の鳥居 福岡県北九州市門司区田野浦 正徳三年の銘が刻まれている

正徳三年の銘がかろうじて確認できる

田野浦には、この春日神社のほかに、淡島神社と住吉神社があることが紹介されています。とくに淡島神社は明治13年(1880年)に聖山から遷宮されましたが、”むかしは遊女がよく参拝をしていた”そうです。

崩壊した春日神社の拝殿 福岡県北九州市門司区田野浦

崩壊した春日神社の拝殿

田野浦がもっとも栄えた時期が1780年台なので、遊女たちが参拝したのは、淡島神社が聖山から遷宮される前の時期…つまり聖山自体に遊女たちは参拝したということなのでしょう。

 

私はまだいったことがありませんが、聖山は山頂へも登ることができるそうなので、ルートを見つけて行ってみたいと思います。山頂には石仏が祀られているそうです。