大分県玖珠(くす)町に「吾精霊社」と呼ばれるお社があります。この社は不思議な風習があって、参拝する際に、まず蝋燭と線香を立て、それから鈴をならして通常神社で行なう参拝をおこないます。
吾精霊社の拝殿はこちらです↓
場所:大分県玖珠郡玖珠町 大字太田
座標値:33.299936,131.148361
そして拝殿の前には蝋燭と線香をたてる箇所があります↓
どうして、このような風習が、吾精霊社にはあるのでしょう?そのヒントが吾精霊社の由緒板に書かれています。吾精霊社の成り立ちをかいつまんで書くと以下のようになります。
・吾精霊社に祀られるのは「村上隼人」と「四藤興惣右衛門」の兄弟
・村上隼人が兄です
・兄弟は才知にすぐれていました
・兄弟は森藩財政の立て直しに大きく貢献しました
・森藩の殿様に兄弟はかわいがられました
・特に兄は家老にまで出世しました
・しかし1709年兄弟は無実に罪に問われました
・結果、切腹を命じられ亡くなりました
・以来、森藩内に怪事がおこり続けました
・殿様が詳細を調べたところ兄弟が無実だと判明しました
・現 吾精霊社がある場所にお社を建てました
・9月5日を祭典日としお祭りをしました
・その結果、怪事がやみました
つまり、吾精霊社に祀られるのは特別な神様ではなく、一般の人であったということです。そしてその方たち(兄弟)の霊を鎮めるために社を建てたのですね。
由緒板には「なぜ線香と蝋燭を立てるのか?」その理由までは記されていませんでした。憶測ですが、思いを残し亡くなった村上兄弟の霊を弔うために、お寺のように線香をたくのではないかと予想されます。
そして、後の世で村上兄弟は神格化され、怪事をおこすほどの霊力をもった人物であるために、その霊力で願いをかなえてくれる神様と評判となり、参拝者が増え、通常の神社のように鈴がつけられるようになったのではないかと考えます。
現在は神社のような社殿がつくられていますが、もともとは「村上隼人」と「四藤興惣右衛門」の兄弟の霊を弔うための社でした。そのときの名残が、線香と蝋燭を立てるという形で残っている、めずらしい社のご紹介でした。