日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

寺田逆修塔 大分県玖珠郡九重町野上

場所:大分県玖珠郡九重町野上

座標値:33.2250860,131.2101449

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高さ1.68mの笠付の石塔が、国道210号沿いに祀られていました。この石塔は「寺田逆修塔」とよばれます。

 

"逆修塔"は生前にたてられる供養塔のことで、自分の死後の冥福をいのるためにたてられるものです参照
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塔には地蔵菩薩坐像が二基刻まれています。そして案内板によると、地蔵菩薩の下には穴井氏一族4人と、木田氏一族3人の名が刻まれているといいます。穴井、木田という名のかたがたは、この地域に昔から住んでいる一族なのでしょうか。

 

ググってみると九重町には数件の「穴井」という名がつく会社などがヒットします。
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塔の下端が、わたしの顔くらいの高さに祀られており、高い場所のため、塔の裏側を確認することはできませんでした。

 

塔の両側には、みたところ建立年の文字は確認できませんでした。ただ、案内板には「元亀二年(1571年)」の銘が刻まれているとのことです。


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地蔵菩薩の下の部分に、一族名とともに、建立年の銘が刻まれているのかもしれません。

 

寺田逆修塔の「寺田」という名がなぜつくのか不明でした。Google Mapには"玖珠郡九重町野上"までしか表示されていなかったからです。詳しくしらべてみると、この場所の字名が寺田ということがわかりました。"寺田"にあるので寺田逆修塔なのですね。

東光寺の国東塔? 大分県杵築市横城

場所:大分県杵築市横城

座標値:33.4486710,131.6956157

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国東塔の塔身部分に仏さまの姿が刻まれています。このように塔身に仏さまが刻まれる種類の国東塔は、「塔ノ御堂国東塔」で見たことがあります参照

 

塔ノ御堂国東塔には四基の石仏が刻まれていて、「四仏(しぶつ)」といわれます。

 

一方で、東光寺境内にまつられる国東塔の塔身には、みたところ1基の仏さまのみが刻まれているようです。

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この塔には、国東塔独特の「反花(かえりばな)」という構造がはっきりとみえません。国東塔と言ってよいのか迷うところですが、ここでは東光寺の国東塔としてご紹介します。

 

写真を使ったハンドメイド レジンキーホルダー

UVレジンで、また、キーホルダーをつくってみました。こんどは、朝露にぬれる葉の写真をメイン素材として使いました。
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写真を百均で売られている型のサイズに合わせて切り取ります。写真を型にはめ込み、それをレジンで固め、ラメなどで装飾しました。

 

写真にそのままレジンを流し込むと、写真の鮮明さがおちてしまいます。インクがレジンににじんでしまうのでしょうか。そのため、写真には百均で売られている保護剤を塗布しておきます。

 

保護剤も、あまり筆などでゴシゴシすると、写真ににじみがでてしまいます。保護剤は軽くのばすていどにしておきます。f:id:regenerationderhydra:20201102214335j:image

型から少しもりあがるようにレジンをながし固めました。しかし

 

光をあてて横から見ると、フチ部分がきれいにそろっていないことがわかります。まだまだ未熟です。

 

裏側は百均で売られている押し花をレジンに入れて固め、押し花のまわりを、同じく装飾しました。
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押し花は加工されたものじゃないと(生ものを使うと)、時間が経つにつれて変色してしまうそうです。

 

青色の押し花まわりには青色のレジンを流しこみ、赤色の押し花のまわりにはピンク色のレジンを流しこみました。f:id:regenerationderhydra:20201102214832j:image

まわりの装飾には同色のガラスカレットを使いました。

 

土台となる型に「底」があれば、「底」にレジンを流し込んで固めていけば、作品はかんたんにできます。

 

でも今回のように額縁型の型だと、いちどクリアファイルなどのうえに型をおいてレジンを流しこみ、レジンで「底」となる部分をつくらないといけません。

 

レジンで「底」をつくるとき、型とクリアファイルとのあいだに隙間があるので、その隙間にレジンがもれだしてしまいます。

 

もれだしたあとのレジンの処理ができず、ガラスカレットでごまかし、ごまかしフチ部分の処理をおこないました。f:id:regenerationderhydra:20201102221920j:image

まだまだ改善の余地がありそうです。

文殊仙寺の参道わきにまつられる庚申塔 大分県国東市国東町大恩寺

場所:大分県国東市国東町大恩寺

座標値:33.6019554,131.6150818

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一面四臂(いちめんよんぴ)の青面金剛像が主尊の庚申塔です。一猿二鶏、二童子が青面金剛の足もとに刻まれます。

 

享保元年(1716年)につくられました。ひと目が届きにくい参道わきの斜面にまつられています。

勾金(まがりかね)神社 福岡県田川郡香春町

日本セメント香春工場専用線沿いにある小さな神社です(参照:廃線をたどる-日本セメント香春工場専用線-その① - 日々の”楽しい”をみつけるブログ)。境内には社などはなく、注連縄(しめなわ)がかけられた巨木と、石祠が3基のみ祀られています。

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場所:福岡県田川郡香春町

座標値:33.661462,130.838644

廃線をたどる-日本セメント香春工場専用線-その②最終回

前回の記事「廃線をたどる-日本セメント香春工場専用線-その① - 日々の”楽しい”をみつけるブログ」 の続きです。

 

鉄歩の達人-廃線探索 日本セメント香春工場専用線-』というホームページを拝見し、この廃線跡がどんな感じでのこっているのか見てみたく、現地をおとずれてみました。

 

日本セメント香春工場専用線は、福岡県田川郡香春(かわら)町にあります。下の航空写真は旧日本セメント香春工場の南側をみたものです。赤破線が日本セメント香春工場専用線の跡です。

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④の地点(座標値:33.660148,130.837025)から東側に道路がのびています。この道路も線路跡です。↓青破線のように線路がはしっていました。

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 ④地点から東側をながめた写真が↓下です。

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この道路を260mほどすすむと、国道322号線・JR日田彦山線と立体交差します(座標値:33.660237,130.839841)↓

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↓こちらの写真は日本セメント香春工場専用線跡と交差する日田彦山線を撮ったものです。日田彦山線が橋渡しされている土台部分は、古そうな石積みになっています。この石積みは香春工場専用線がはしっていた当時からのこされているもののようです。

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立体交差地点から線路跡は南方へグググっとカーブしてゆきます。

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この線路跡はさらに南方向へとすすんでいきます。しかし、今回廃線をたどったのは、ここまでです。

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