日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

十三仏というのは何? 猫石丸山古墳 大分県豊後高田市草地

昔、撮った写真を見返していると、↓このような写真を見つけました。

石塔に「十三仏」と刻まれています。十三仏といえば、山口県に行ったとき下関市豊浦町大字川棚岩谷十三仏を見ることができました(参照:山口県 庚申塔めぐりで立ち寄った「岩谷 十三仏」

 

岩谷十三仏が祀られた目的は”大河内吉隆という人物へのお礼と供養のため”と案内板には書かれていました。

 

話を一枚目の写真にもどします。この写真は大分県豊後高田市の猫石丸山古墳で見つけたものです。

 

場所:大分県豊後高田市草地

おおよその座標値:33.5896527,131.4566506

 

猫石丸山古墳には、この十三仏と刻まれた石塔とともに、石仏も祀られていました↓

この写真を撮ったのは2016年2月22日です。その当時は写真のように、かなり荒れており、石仏は繁茂する雑草のなかに埋もれてしまっていました。

 

十三仏とはなに?

十三仏について改めて調べてみると、石の宗教 (講談社学術文庫)に十三仏について書かれていました(Kindle 位置番号 903/3532)。十三仏は死者供養の仏であることは説明するまでもない…と記されています。

 

私は知らなかったのですが、十三仏が死者供養の仏さまであることは、一般的によく知られていることのようです。山口県 庚申塔めぐりで立ち寄った「岩谷 十三仏」 - 日々の”楽しい”をみつけるブログでも調べていましたが、十三仏は…

・不動明王

・釈迦如来

・文殊菩薩

・普賢菩薩

・地蔵菩薩

・弥勒菩薩

・薬師如来

・観世音菩薩

・勢至菩薩

・阿弥陀如来

・阿閦如来(あしゅくにょらい)

・大日如来

・虚空蔵菩薩

…がおられ、初七日から三十三回忌までの計13回の追善供養をつかさどる仏さまなのだそう。

 

どうして古墳に十三仏が祀られていたのか?

昔撮った写真を改めて見てみると、十三仏と刻まれた石塔と石仏のほかに、近年造られたような大きな石碑や近代の墓石が見られました。

古墳を訪れると、その周囲に近代の墓地がつくられていることを、たびたび目にします。おそらくこの猫石丸山古墳も、それと同様に昔からの古墳があり、その周り、あるいは古墳自体に地元のかたの墓地が作られたと考えられます。

f:id:regenerationderhydra:20181113021806j:plain

 

小林幸弘氏の庚申塔調査に同行させていただきました 大分県杵築市 奈多宮

2018年11月10日(土)に、『「国東半島のコウシンさま」(文献出版)1981年』と、『「国東半島の庚申塔」(大分合同エデュカル)2017年』の著者である小林幸弘氏の庚申塔の調査に同行させていただきました。

 

小林氏の運営するホームページ(国東半島の庚申塔

 

同行させていただいたのが、大分県杵築市奈多にある奈多宮(なだぐう)の境内にあるという猿田彦大神の文字塔です。

あらかじめ小林氏が杵築の図書館で、この庚申塔が奈多宮にあることを本で調べられており(ありがたいことにその資料のコピーをいただきました)、私もその調査に同行できることとなりました。

 

奈多宮は海に向かって、楼門が開かれています。つまり陸地側からではなく、海側から鳥居をくぐり、門をくぐり拝殿・本殿へと向かいます。 

この楼門をくぐり左側へと歩を進めます。本殿を正面にすると左手側には奈多宮の宝物殿があり、この宝物殿の左奥へ進むと、たくさんの祠や、石の神様が祀られる場所へたどりつくことができます。

 

 これらたくさんの祠の一番左側に、目標としていた庚申塔が祀られていました。↓こちらの写真でいえば、鳥居の左柱のちかくにある石塔です。幣束(へいそく)が捧げられています。

場所:大分県杵築市奈多

座標値:33.4283345,131.706372

 

 ↓庚申塔には猿田彦大神とのみ正面に刻まれており、建立年月の銘は確認できませんでした。

 猿田彦大神の文字の下には、何かの像が刻まれていますが、判別が難しいほど風化が進んでいました。

 

上の写真の右側に写っているのは、小林氏が庚申塔をスケッチしているノートです。調査の様子を見させていただきましたが、私と比べてほんとうに丁寧に、丹念に庚申塔の調査をされていることがわかりました。

 

まずは庚申塔のスケッチを行ない、庚申塔の縦横奥行きなどのサイズをメジャーで計測し、それをメモし、最後に写真を撮られていました。

 

 そのように調査された庚申塔一基一基がノートにびっしりと記録されていました。

 

小林氏に教えていただいたのが、庚申塔の場所がはっきりとわからないときは、すぐに地元のかたに聞くのが良いということです。

 

それは庚申塔の場所だけでなく、もしかしたら庚申塔に関するさらなる細かい情報や、その他、別の場所に祀られる庚申塔のことまで聞けることがあるかもしれないからということでした。

 

実際に、小林氏が奈多宮の神主さんに庚申塔のある場所について聞いていた際、神主さんが「これらの石塔や祠は、もともとここ(奈多宮)にあったものではなく、各所から管理が大変になったものが持ち運ばれてきた」という話も聞くことができました。

 

こういった情報は、その土地に詳しい方から聞かないと、なかなかわかるものではありません。

 

庚申塔の調査が終わった後も、小林氏は神主さんに丁寧にあいさつをされていました。調査が終わってもそのまま帰るのではなく、庚申塔が見つかったことの報告や、ご協力いただいたことのお礼を言われていました。

 

調査に同行させていただき、勉強になることがたくさんありました。調査のノウハウだけでなく、調査に入る前にはまずしっかりと神社や庚申さまに参拝をし、地元のかたにあいさつを行なうなどの心構えも…

 

また書籍を出版した際のご苦労なども聞かせていただき、とても刺激となりました。

 

今回いただいた資料をもとに、まだまだ国東半島の庚申塔を探索し続けてゆきたいと思います。

両子寺の紅葉状況 2018年11月10日現在

2018年11月10日に両子寺(大分県国東市安岐町両子;google map)へ紅葉を見にいってみました。両子寺の紅葉は見ごろを迎えていました。

https://www.instagram.com/p/BqALF0wFGe7/

 

以前、書いた記事(国東半島の紅葉スポット おススメ5選 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ)に、両子寺の紅葉のみごろは11月中旬から下旬にかけて…とご紹介していましたが、今年はやや早い見頃を迎えた印象をうけます。11月の下旬にはもう落葉してしまうかもしれません。 

両子寺の紅葉で、個人的にいちばん美しいなと、毎年感じている場所は一枚目の写真でご紹介した護摩堂前のモミジです。

 

護摩堂前のモミジを下から見上げると、お堂とモミジが重なりお寺の紅葉らしい画となります。また下から見上げることで、モミジに光が通り、紅色や緑色がより鮮明にみえるように感じます。

また山門から護摩堂前までつづく階段も、毎年美しいと感じる場所です。見ごろの時期には紅葉のトンネルとなります。

https://www.instagram.com/p/Bp_hPPeFf55/

田園を飾るイルミネーション 「千年のきらめき」 豊後高田市田染

大分県豊後高田市に田染(たしぶ)小崎という地区があります。この地区は曲線の美しい水田とたくさんの蛍に魅せられ、写真を撮りによく訪れている場所です。

 

この田染地区のそばを通っていると、たまたま「千年のきらめき 11月3日~」と書かれた看板を目にしました。千年のきらめきとは?…調べてみると山間の広大な水田のあぜ道に、約1万個のソーラーLEDライトが、期間中毎日点灯します…とのこと(参照:世界農業遺産の郷 田染荘 「千年のきらめき」(11月3日~平成31年2月15日) | イベント | 豊後高田市

H30年11月3日からH31年2月15日までと、とても長い期間イルミネーションが設置されているようです。H30年11月10日、夜間に田染へ行ける時間があったので、さっそく行ってみることにしました。

 

田染にたどりついたのは、18時ごろ。日は沈んではいましたが、まだあたりは薄暗く光は少し残っているという感じです。しかしLEDのライトはすでに点灯していました。

 

1万個ものLEDライトが設置されてて、かつ、土曜日だから、観光客が多く来られているかな…と思っていました。しかしまだ明るいからか、周囲には人はおらず、「これだけの景色を独り占めしていいの?」という印象です。

ほたるの館(大分県豊後高田市田染小崎2596; google map)に無料駐車場があるので、ここに車を停めさせてもらいました。

 

まだ薄暗い時間でのイルミネーションも美しかったのですが、やはり暗くなってからのほうが、よりその美しさが増しました。

豊後高田市のホームページによると、”ライトは黄色と緑色の2色が30分おきにゆっくりと切り替わります”ということです。たしかに、駐車場に着いたとき、ライト全体が黄色だったものが、上の写真の奥のほう(北西部)から徐々に、ライトが緑色へと変化していきました。

 

田んぼの中は白いLEDのレールが作られていて、ここを通って田のあぜ道を通り抜けることもできました。

 

↓こちらは日中の田染小崎地区の景観です

18時を過ぎたあたりから、他の観光客のかたたちも、ぽつりぽつりと来られていました。平日も含めて期間中は、毎日ライトは点灯しているようです。点灯時間は日没から約3時間で、駐車場は無料。

 

私のように、時間が空いたのでたまたま立ち寄ったという人も、安心して見ることができるとても懐が深いイベントです。

庚申の神さまは農耕の神さまとして出たという一例 読書メモ

石の宗教 (講談社学術文庫)を読んでいて、庚申の神様について興味深い記述があったので、メモに残しておきたいと思います。

 

民俗としての庚申は、猿を山神の化身であるとともに農耕神とする信仰から出たものとおもわれる。(Kindle位置番号 2716/3532)

 

これは「十.庚申塔宇賀神および円空作の庚申」という項で書かれていたものです。著者である五来重氏が、東京でめずらしい青面金剛庚申塔を見たそうです。

 

それは王子神社の別当寺にあった庚申塔で、王子山金輪寺のいりぐちで見つけたそうです。調べてみるとウィキペディアに金輪寺が見つかりました(東京都北区岸町一丁目12番22号)

 

著者が見つけた青面金剛は、頭に蛇のとぐろを巻いた宇賀神を乗せているとのこと。青面金剛像と宇賀神がおなじ像のなかで、刻まれているのだそうです。

今宮八幡宮(福岡県久留米市大城北野町)で見かけた宇賀神↑

 

宇賀神はそもそも、一年の穀物をつかさどる神さまで、七福神のひとりである弁財天の別称ともいわれます(参照:宿なし百神(東京美術選書 12 )

 

だから宇賀神は青面金剛とは関係がないと推察されています。よって、商売繁盛や豊作の神さまである宇賀神が庚申塔に刻まれているということは、庚申信仰自体が農民の豊作祈願であり、都市民の商売繁昌祈願であったことを物語るものであろう…と著者は考えられています。

 

それにしても、青面金剛と宇賀神がいっしょに刻まれる庚申塔…実際に見てみたいものです。

車で海峡を通っていたので存在に気付かなかった 関門連絡船

おもしろ地名北九州事典」のP52を読んでいると、1944年…つまり昭和19年に、下関(山口県)と門司(福岡県)を結ぶ関門鉄道トンネルが開通してから、国鉄の関門連絡船のお客さんが激減した、という内容の記事が書かれていました。

 

関門連絡船…つまり関門海峡を行き来する渡し船が運航されていたのですね。「おもしろ地名北九州事典」では、1964年に関門連絡船は廃止されたと書かれています。

 

関門連絡船について昔の資料はないかネットで調べてみると、なんと現在も関門連絡船は運航しているとのことです。

 

www.kanmon-kisen.co.jp

 

どういうことでしょう?よくよく調べてみると、国有の連絡船と、民間の連絡船があるようです。日本国有鉄道が運営していた連絡船は1963年に廃止されましたが、民間の連絡船は現在も運営されているようです。

 

民間の連絡船は、関門汽船株式会社により運営されています(参照:関門汽船 - Wikipedia)サイト「関門連絡船 – 関門汽船株式会社」に、連絡船の航路が示されています。

 

門司港と、唐戸までの往復で運航されているのですね。同サイトの時刻表を見てみると、1時間に3本と結構な頻度で行き来しています。

唐戸市場の様子

 

関門橋(かんもんきょう)や、関門トンネルができて、車や列車により本州と九州との行き来ができるようになっても、連絡船はしっかりと残っていたとは知りませんでした。

 

ちなみに、関門連絡汽船の門司港側の乗り場は、門司港桟橋(マリンゲートもじ)と、門司港レトロ内桟橋と、2つあるようです。下関(しものせき)側の乗り場は、下関唐戸1号桟橋の1か所だけのようです。

以前、撮っていた写真に偶然写っていましたが、おそらく↓これが下関側の乗り場と連絡船と思われます。

どういう方たちが、この連絡船を利用するのか想像してみると、唐戸市場(山口県)と門司港レトロ(福岡県)というふたつの大きな観光地を、直接行き来したい場合、連絡船を使うと便利なんだろうな…と考えられました。

 

各地の地元情報が載っている書籍を読んでいると、意外な発見をすることがあり、おもしろいですね。

 

 参照した書籍

夜景の綺麗な高塔山 昔は城があった 福岡県北九州市若松区

2003年4月に発表された新日本三大夜景のひとつには、北九州市の皿倉山からの夜景が選ばれました。その皿倉山から直線距離にして北側に6.3㎞ほどの場所に高塔山があります。

 

高塔山は標高124mと低いのですが、ここからもすばらしい夜景を眺めることができます。↓こちらが高塔山からの夜景です。ここからの夜景は、洞海湾に架かる若戸大橋がシンボルとなります。

↓こちらは朝の景色です。

 

高塔山からの眺めは、昼間も美しいです。高塔山への傾斜に沿って、昔からある住宅がひしめき合い、独特の景観をつくりあげています。

高塔山をgoogle mapの航空写真で見てみると、このような感じになります↓

高塔山のすぐ南側に洞海湾があり、高塔山の西側には石峰山をはじめとする標高の低い山々がつらなります。つらなっている山の右端にぽつんと、離れ小島のように高塔山がそびえています。

 

この高塔山…むかしは「高頭山」という字を書き、古地図には高頭山古城が記されているそうです(参照:おもしろ地名北九州事典P260)。

 

麻生氏の家臣 大場隠岐守景種が城を構えたといい、大正年間までは鬱蒼とした原生林に覆われていた。昭和6、爆弾三勇士のいた久留米工兵隊が山頂まで登山道路を3日で造った(P260)

 

大庭隠岐守景種は『おおば おきのかみ かげたね』と呼ぶそうです(参照)。景種(かげたね)の築いた城跡は、現在では高塔山には残っておらず、どこにどのような建設物があったのかはわかりません。

 

ただ、高塔山山頂にあたる、高塔山公園展望台前の広場が、おおよそお城の本丸にあたるものが建てられていたのではないでしょうか?

大正時代には鬱蒼とした山だったそうですが、今では駐車場も整備された綺麗な山になっています。アジサイがたくさん植えられて、北九州市のアジサイの名所ともなっています。

 

今回 参照した書籍