長崎県、壱岐の島の西側。湯本湾と片苗湾との境界部分に「六郎瀬鼻」というでっぱりがあります。ここで、ステゴドン象という大きな象の化石がでてきました。
ステゴドン象は、マンモスや現在の象の祖先にあたります。今から1200万年前~約100万年前にかけて、東アジアやアフリカで生息していました。つまり、壱岐の島でステゴドン象がみつかったということは、壱岐の島が大陸の一部であったということになります(参照:案内板)。
ステゴドン象の模型がある場所
場所:長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触
座標値:33.750100,129.687527
化石がみつかった六郎瀬鼻
化石がみつかった場所は、湯ノ本という地区です。↓下の地質図をみると、壱岐の島全体がピンク色・赤紫色で示されています。これらの色は玄武岩で壱岐の島が構成されていることを示しています。
いっぽう、六郎瀬鼻がある湯ノ本地区ふきんは、部分的に緑色で示されていることがわかります。緑色はおおざっぱにいうと、小石が固まってできた礫岩(れきがん)というもので構成されているということです。
六郎瀬鼻の場所
場所:長崎県壱岐市勝本町立石西触
座標値:33.804613,129.677405
堆積層の上を溶岩が覆った
六郎瀬鼻に立てられている案内板では以下のような説明がされています。
化石の産出地点では、 下から玄武岩質巨礫岩(げんぶがんしつきょれきがん)~玄武岩溶岩(げんぶがんようがん)~砂質泥岩(すなしつでいがん)~灰色粗粒砂岩(かいしょくそりゅうさがん)~含礫砂岩(がんれきさがん)~中・大礫岩(ちゅうだいれきがん)が重なり、それらを約110万年以前の火砕流堆積物(湯本累層)が不整合に覆った状態
専門用語が多くてわかりにくいです。かんたんに解釈すると、化石が発見された場所は、礫岩の上に火山から噴出された岩石や灰が降り積もってできた地形になっている、ということになりそうです。
長崎県のホームページを参照すると、化石産出の層がよくわかる写真が掲載されています(ホームページの写真)。以下にホームページの説明文を示します。
含化石層は、北に面した高さ約8mの海食崖に露出する。化石は、その下部の厚さ約2mの礫質砂岩~細礫岩から発掘されたもので、その中部と上部には炭化物を含む泥岩をはさんでいる。この地層は、海岸にそって延長約30mにわたって露出している。象化石含有層の上には、下位より玄武岩の大礫よりなる礫岩(2m)、成層した凝灰岩(1.5m)、白色軽石凝灰石(4m)が重なり、その上は柱状節理の発達した玄武岩の厚い溶岩流によって覆われている。
この文章を自分なりに図式化してみます。
現地に足をはこぶと、実際には緑におおわれ、このような綺麗な地層はみづらかったです。雰囲気だけ感じることとします。以下は六郎瀬鼻までの行程です。
六郎瀬鼻までの行きかた
写真左下、ガードレールが途切れている箇所が入口です。油断をすると見落とします。
身をかがめながら階段をおりてゆきます。
化石が発見された地層は見られないのですが、海に面した箇所に白く大きな岩石がゴロゴロとしているのが確認できます。
六郎瀬鼻でみられる珍しい岩石
詳しくはわかりませんが、流紋岩(りゅうもんがん)という岩石ではないかと予想しました。流紋岩は、マグマが固まってできた岩石です。無色の鉱物がまじっている割合が高いので白く見えるというのが流紋岩です。
↓『壱岐の地質(2)神田淳男』の地質図をふたたび参照すると、六郎瀬鼻ふきんには「Rhy」という表示がみえます。この「Rhy」は「rhyolite:流紋岩」の意味です。
今回は、ステゴドン象の化石が発見された地層は確認できませんでしたが、壱岐ではみるのが珍しい流紋岩らしい岩石をみることができました。
壱岐の島は溶岩で覆われている
壱岐では…礫岩・泥岩・凝灰岩の地層が土台としてあり、その上を溶岩が覆っていること…が、おおざっぱに理解することができました。島を覆う溶岩は、島の各所から噴出されたのではないかと考えられます。
参照:PDF,壱岐の地質(2)神田淳男
下図の赤色部分は「㏄:噴出石丘」と表示されており、ここで小規模な火山があったのではないかと推察されます。
前記した六郎瀬鼻の流紋岩も、これら小さな火山から噴出された溶岩が固まってできたものかもしれません。
壱岐の凹凸を赤色立体地図でみてみます。実際、火山であったあろう場所は、小高い丘となっています。