壱岐の島の北部、勝本町勝本浦という場所に立派な石垣が残されています。石垣をさらにくみあわせて、高台をつくりあげました。遠くを見張れるようにです。この高台は「旗揃舎(はたぞろいしゃ)物見台」と呼ばれます。1592年に豊臣秀吉が朝鮮を侵略しようとして、壱岐から出兵しました。そのときに築かれた物見台(ものみだい)といわれています。
場所:長崎県壱岐市勝本町勝本浦
座標値:33.855083,129.690049
「旗揃舎(はたぞろいしゃ)物見台」の周辺には、家を囲う立派な石垣がつみあがっています。この石垣を眺めてみると、集落の中心部へいくほど、特徴的な岩石で石垣がつくられていることがわかります。
↓こちらがその特徴的な岩石です。
扁平な石で、その断面には細かく層がつくられています。まるでパイ生地のようです。石の表面は、ややざらついているような印象をうけます。
旗揃舎(はたぞろいしゃ)物見台石垣塀の近くにある「神功皇后の馬蹄石」もみてみます↓ 馬蹄石は、神功皇后が朝鮮出兵の際に乗った石とされています。
これらの岩は、玄武岩のような溶岩ではなく、なにかが層状に堆積してできあがった岩のようにみえます。堆積岩だと予想されます。
地質図naviをみてみます。このあたりは砂岩・泥岩交互層で構成されています。さらに『壱岐の地質(2)神田淳男』を参照すると、砂岩泥岩交互層のなかでも、砂岩で主に構成された地質であることが予想されます。
石垣や馬蹄石は砂岩を利用してつくられたものだということが予想されます。