日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

垂見峠(たるみとうげ)にある郡境石と「をんが道」 福岡県遠賀郡岡垣町大字内浦

「福岡県遠賀郡岡垣町大字内浦」と「福岡県宗像市池田」との境にある垂見峠に、石でつくられた高さ2mほどの郡境石がたてられています。群境石のそばには石仏が二体おさめられたお堂もあります。

ここに群境石があるということは、人々が往来していた道が、ここには昔から通っていたのかもしれません。

 

場所:福岡県遠賀郡岡垣町大字内浦

座標値:33.861510,130.566926

「従是 東遠賀郡 西宗像郡」という文字が、正面に刻まれています。”ここから東側は遠賀郡、西側は宗像郡”と刻まれたこの群境石について詳しく書かれた文献を見つけることができていません。ただ『岡垣町史』P.865,866に、群境石が建てられている”垂水峠(たるみとうげ)”についての記述をみつけることができました。

 

宗像と境をなす峠で、湯川山と弘大寺山との間にある。垂見峠、樽見峠とも書き、古代にはここを大宰官達が通っていたともいわれる。『平家物語』に、安徳天皇が大宰府から大里の行在所に向かわれてたときの峠の様子を、「垂見山鶉浜といふ峻嶮を凌がせたまひて渺々たる平沙へ赴きまゐりける」と書かれている。峠の途中には、駕籠据場という所がある。昔、ここで旅人が駕籠を据えて休憩した所といわれている。峠の頂上には花立地蔵がある。峠にちなんだ河童伝説がある。(『岡垣町史』P.865,866)

 

郡境石には建立年の銘は刻まれていません。江戸期につくられたものかもしれません。鎌倉時代に編まれた平家物語に、垂見峠を通る道について記述されているため、江戸時代よりさらに以前に道があったと想像されます。

 

この郡境石の南西1.4㎞付近に、「をんが道」と刻まれた石碑がたてられています。「をんが」は「遠賀」のことと思います。この道標から西南西へ約1㎞の場所で、赤間・田島・東郷・神湊方面へ道が分かれます。おそらくそれを示すための道標だと考えられます

垂見峠の郡境石と、この「をんが道」とを結ぶ道は、少なくとも鎌倉時代からある道だと想像されます。道の名前は付けられていませんが、この石碑に習うと「をんが道」というのでしょうか?

 

「をんが道」「遠賀宗像郡境石」などのキーワードを使って、図書館で文献を探してみると、これらの道に関する情報を見つけられるかもしれません。