日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

鉄道のおもしろ事情 福岡県の城山トンネルは昔ひとつだったのに、なぜふたつに?

福岡県の遠賀郡と宗像市(むなかたし)を分ける峠のひとつに城山峠(じょうやまとうげ)があります。この峠の下にJR鹿児島本線がはしっています。JR鹿児島本線は、遠賀郡の海老津駅(えびつえき)と宗像市の赤間駅(あかまえき)とを結ぶ線の途中でトンネルとなります。

 

↓下の写真は遠賀郡側からみた、トンネルの入口です。ごらんのようにトンネルの入口がふたつあります。

撮影場所:福岡県遠賀郡岡垣町上畑

撮影場所の座標値:33.826700,130.607734

 

この写真だと、左側のトンネルが一番はじめにできたトンネルで、右側のトンネルは後に作られたトンネルです。なんとなく、左側のトンネルのほうが、やや幅が広い印象をうけます。

 

この記事では、便宜上、左側のトンネルを第一号トンネル、そして右側のトンネルを第二号トンネルと呼ぶことにします。

 

第一号トンネルの幅が広いのは蒸気機関車時代の名残

第一号トンネルは、明治42年(1909年)に開通した(参照)そうですが、その頃は蒸気機関車が客車をけん引していました。そのため機関車や客車の屋根の上にはパンタグラフを載せる必要はなく、トンネルの高さは比較的低くてもよかったのです。よって↓写真の左側のトンネルに二列並んで蒸気機関車が走れていたそうです。

 

 

二列ならんで線路が敷かれているのが複線と呼ばれるそうですが、トンネルができた当時は複線だったのですね。しかし昭和36年に、門司港-久留米間の列車が電化されることとなりました。

 

電化されるということは、列車にパンタグラフが載ることとなり、さらにパンタグラフよりも高い位置に架線がはられなければなりません。そのため、蒸気機関時代よりも高い天井のトンネルが必要となりました。

 

 トンネルの天井の高さを高くしようとしても、昭和30年代当時では、このようなおおがかりな工事をすることはできませんでした。そこで、複線だった線路を単線にし中央に寄せたそうです。

 

第二号トンネルが幅狭なのは初めから単線目的だったから 

さらに単線のトンネルをもうひとつ(第二号トンネル)掘り、トンネルを並列式としました。第二号トンネルは、はじめから単線のトンネルとして掘られたので、第一号トンネルよりも幅が狭いトンネルとなったのですね。このようにして、現在の単線並列式のトンネルができあがったわけです。

 

↓こちらの写真は、トンネル入口ふきんから遠賀郡 海老津駅方面をながめた風景です。近く並んでいた線路が、二又に分れて並列式のトンネルに向かってきているのがわかります。

 こうやってみると、なんの変哲のない風景ですが、この線路がなぜ二又になり、ふたつのトンネルへと続いているのか?変遷をたどってみると、おもしろい事実がうかびあがってきます。(参照:九州の鉄道おもしろ史P125-129)

 

 

 

九州の鉄道おもしろ史