北九州市八幡東区の荒手という地区に、三基の庚申塔が一カ所に集められて祀られています。サイト「北九州まちかど探検-八幡東区枝光地区の史跡等-」を拝読し、一度これらの庚申塔を探しにきたことがあるのですが、そのときは見つけることができませんでした。2022年9月25日に、ふたたび荒手を訪れ、これらの庚申塔を探してみたところあっけなく見つけることができました。
場所:福岡県北九州市八幡東区荒手
座標値:33.884811,130.814314
同サイトに掲載されている写真とは、だいぶ雰囲気がちがっており、時代の流れを感じます。下の写真がサイトに掲載されている写真で、上の写真が実際に2022年わたしがおとずれたときの写真です。
2022年9月では、「荒手一丁目交差点」から北北東、約40m地点に庚申塔群がまつられていました。
三基の庚申塔にむかって右側から順に、ご紹介してゆきたいと思います。
一番右側の庚申塔には「興玉神」、「文化四丁卯天」と刻まれています。文化四年の干支は丁卯(ひのとう)で、西暦1807年を意味します。
次に真ん中の庚申塔には↓、「幸神」、「大正九庚申十一月吉日」とわかりやすく刻まれています。大正九年は1920年で、干支は庚申(かのえさる)です。
最後、いちばん左側の庚申塔には猿田彦大神と刻まれているようですが、もうほとんど表面の文字は判読することができませんでした。
案内板の内容は以下の通りです。
碑の由来
一.右は興玉神といい製塩をあらわす
興玉神というは伊勢二見ヶ浦にあり伊勢大廟に奉納する塩を興玉神社では古式に則り製塩した塩を伊勢神宮に奉ずる歴史的由緒ある事から文化四年(1807)此の地の海岸に塩浜があった事を物語る。
二.中の碑は幸神(さいわいのかみ)という庚申と同じ意味で旅を守る神、悪いものを塞ぎさえぎる神、五穀豊穣、子孫繁栄を願ったものである大正時代枝光港まで街並が続いた時代この神を戴いて幸神(こうじん)市場が出来たのも昔の話である。
三.左の碑は昔からこの附近にあったもので村の境界を表わした猿田彦神である。
昭和五十五年三月吉日
祭日一月十四日