大分県杵築(きつき)市の、波多方(はだかた)という地区に、三柱(みはしら)神社が鎮座しています。↓下の写真だと左側です。三柱神社境内に二基の庚申塔が祀られていました。
三柱神社鳥居にむかって、左側に斜面があり、ここに庚申塔や他石造物が祀られています。
一基ずつ庚申塔をご紹介してゆきたいと思います。
塔の上1/3あたりが折れていた庚申塔
二基の庚申塔のうち一基は、塔の上、1/3ほどの場所が折れていた痕が残っています。風化がとても進んでおり、像容が見えにくくなっています。
場所:大分県杵築市大田波多方
座標値:33.500376,131.575589
主尊の青面金剛像は、ひとつの顔に腕は六本あるようにも、四本であるようにも見えます。かろうじて腕の一本に弓を把持しているのと、青面金剛の頭上には月雲が刻まれているのが確認できます。
青面金剛像の両脇には二童子が見えます。
青面金剛の足元に目を移してみます。
正面を向いて合掌しているように見える猿が二匹、その両側に鶏とおぼしき像が、かろうじて確認できます。
塔の両側面、裏側を見ても建立年らしき銘は、確認することができませんでした。
ここで、小林幸弘氏が運営されているホームページ『国東半島の庚申塔』を参照させていただきます。「解説」の箇所に、以下のような説明がなされています。
塔身が二つに割れ、諸像の姿も摩滅が進んでいるため詳細がわかりにくい。
造立年も「享保卯」だけが判読でき、確定できない。
享保年間に建立された庚申塔で、干支に「卯」がある年…つまり1723年か、1735年につくられたものだということが推測されています。
1759年建立の庚申塔
もう一基の笠付きの庚申塔には、像容も建立年の銘も、比較的はっきりと残っています。
一面四臂(いちめんよんぴ)…つまり、ひとつの顔に四本の腕がある青面金剛が主尊で、その両側に二童子がひかえています。
青面金剛の足元には、うずくまるように座っている三猿が見え、さらにその下側に二鶏が確認できます。
庚申塔にむかって右側面に「宝暦九年 卯九月吉日」という銘がはっきりと見えます。宝暦九年は1759年、干支は己卯(つちのとう)です。
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以上、ご紹介した庚申塔二基が、一枚の写真におさまるよう撮ったものが下の写真です。中央の庚申塔の向こう側に、もう一基の庚申塔がみえます。
斜面の雑草は刈り取られて、神社境内が丁寧に手入れされていることがわかります。