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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

難所の峠にたてられた稲荷神社 福岡県田川郡赤村大字赤

場所:福岡県田川郡赤村大字赤

座標値:33.617001,130.899099

 

福岡県京都(みやこ)郡と田川郡との県境に、今から約600年前に建立されたと伝わる稲荷神社があります。岩嶽(いわたけ)稲荷です。 

県道34号線沿いに岩嶽稲荷の鳥居がみえる

県道34号線沿いに岩嶽稲荷の鳥居がみえる

岩嶽稲荷がある場所が石坂峠なのですが、石坂峠は京都郡みやこ町犀川(さいがわ)崎山と田川郡赤村山浦との町村境にもなっています。標高82mのこの峠には以下のような伝説がのこっています。

 

神功皇后が香椎宮(福岡県福岡市)から宇佐神宮(大分県宇佐市)へむかっていた際、ここ、岩嶽稲荷がある石坂峠で旅駕(たびかご)をとめ、景色を愛でた(参照:案内板)

 

他にも『新京築風土記(山内公二著)』P.149には”神功皇后が石坂峠で道にまよったとき、二匹の白キツネが道案内をした”という伝説も紹介されています。神功皇后がここを通ったという点は共通しています。

 

約600年前に岩嶽稲荷が建立されたときは、小さな祠だけでしたが、約500年前にこの土地の信者により社が建てられたといいます。

岩嶽稲荷 鳥居の奥にある小さな社 福岡県田川郡と京都郡の境

鳥居の奥にある小さな社

 現在の社殿は近世に京都郡にすんでいた林九郎氏と犀川の町長(田崎五郎氏)との協力により建てられたと考えられます(参照:『新京築風土記(山内公二著)』P.149) 林九郎氏は、京都郡みやこ町犀川崎山の林酒造場の社長であったかたです。林酒造について調べてみると、現在は「林龍平酒造場」として営業が続けられています参照

岩嶽稲荷にかけられる絵馬

 岩嶽稲荷神社の特徴は、こちらの55本の鳥居だと感じます。県道を走って峠をこそうとしていると、まず目に入ってくる鳥居群です。おそらく建てられた当時は、手前の灰色の鳥居も朱色に塗られていたのでしょうが、現在では色あせて灰色となっています。向こう側に見えている比較的新しい朱色の鳥居とのコントラストが印象的です。

岩嶽稲荷の55本の鳥居 福岡県田川郡赤村

岩嶽稲荷の55本の鳥居

稲荷大明神の稲荷(いなり)の語源は「稲生(いねなり」で、五穀豊穣を意味するといいます。さらに稲生は生成にも通じ、物が増える神様、商売繁盛の神様としても信仰されます(参照:『新京築風土記(山内公二著)』P.149)

稲荷様の神使神(みさきがみ)であるキツネ

私は稲荷神社でよくみかける、このキツネ自体が稲荷様とおもっていましたが、キツネは稲荷様の使いである「神使神(みさきがみ)」のようです(参照:『宿なし百神(川口謙二著)』P.18) キツネが口にくわえているのは、どうも宝珠というもので、火焔の玉を意味するものです。

口には宝珠、足元には火焔が表現されている

おもしろいことに、赤い鳥居は宝珠と同様に火焔をあらわしているといいます(参照:『宿なし百神(川口謙二著)』P.18)

赤い鳥居は火焔を表現している

赤い鳥居は火焔を表現している

岩嶽稲荷があるこの峠は、昔、断崖絶壁にわずかな路をつくっただけの交通の難所であったそうで、明治9年に交通の便をよくするための工事がはじまりました(参照:「石坂峠改造顕彰碑の由来」案内板)

 

このことから、人の往来が困難な場所で、また人里をみわたせる高い場所にあったことが想像されます。周囲は田畑、主に水田がひろがっており、五穀豊穣の神様である稲荷様の祠が、この場所に建てられたのは納得がいきます。