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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

福智山の修験道のなごり『方城岩屋磨崖梵字曼荼羅』 福岡県田川郡福智町弁城

図書館で史跡についての史料をしらべていると、福岡県田川郡の福智町(ふくちまち)に『方城岩屋磨崖梵字曼荼羅』という、漢字ばかりのなんとも難しそうな名前の史跡があることを知ることができました。『ほうじょういわやまがいぼんじまんだら』と読むようです。

 

 

漢字がずらずらっと並べられていると、どんな史跡なのかわかりにくので、名前を区切ってみると以下のようになります。

 

[方城]→”ほうじょう”という地名のこと

[岩屋]→岩壁のくぼみにあるのでしょう

[磨崖]→岩壁になにかが刻まれているのでしょう

[梵字曼荼羅]→梵字(ぼんじ)が円状になっているのでしょう

 

ひと文字で仏さまを表す梵字が岩壁に円状に刻まれている史跡なのでしょう。福智町のHPに写真が紹介されています参照。それをみると、たしかに梵字が岩壁にうつくしく刻まれているようです。

 

方城(ほうじょう)岩屋磨崖梵字曼荼羅はどこにある? 

場所:福岡県田川郡福智町弁城

座標値:33.722513,130.801964

 

福智山の山ろく南側に、『方城岩屋磨崖梵字曼荼羅』はありました。福智町の中心地からだいぶ離れた山奥にあり、周囲はうっそうとした森に囲まれていました。「方城スカイライン」という細いコンクリート道を、標高の高い方へ高い方へ進んでいると、標高約300m地点に『方城岩屋磨崖梵字曼荼羅』があります。

 

曼荼羅が刻まれる岩屋にいくまでには、下の写真のような鳥居をくぐっていきます。鳥居には「岩屋社」とかかれています。

鳥居をくぐると岩屋までは約100mの石段がつづきます。

石段をのぼりきると、ちょっとした広場があります。広場の右側を沢に沿ってすこしだけ登ると『方城岩屋磨崖梵字曼荼羅』が金網にまもられ岩壁に刻まれているのが確認できます。

曼荼羅は金網にかこまれ、とてもみにくい状態でした↓

 

方城岩屋磨崖梵字曼荼羅はいつ造られた?

刻まれている年号の解釈により、はっきりと造られた年が断定できないそうですが、おおよそ建武2年(1335年)につくられたとされています。法橋良蜜という僧侶が願主となったと紹介されていますが、この僧侶についての情報がくわしく載っている史料はみつけられませんでした。

 

 

方城岩屋磨崖梵字曼荼羅とはどんなもの?

前にご紹介した、金網にまもれている曼荼羅には、こちら↓のような文字がきざまれています。これは案内板に紹介されているものです。

梵字曼荼羅と銘 田川郡福智町 方城岩屋磨崖梵字曼荼羅

梵字曼荼羅と銘

金網にまもられた曼荼羅とは別に、左側へ約15mはなれた岩壁の5mほど上方に4つの梵字がきざまれています。

岩壁に刻まれる4つの梵字 方城岩屋磨崖梵字曼荼羅 福岡県田川郡福智町

岩壁に刻まれる4つの梵字

この4つの文字は、右側から「不動明王」「阿弥陀如来」「大日如来」「普賢菩薩」をあらわした梵字です。

 

これら刻まれている文字は薬研彫(やけんぼり)という形式でほられており、鎌倉時代の特徴をあらわしているといいます。

 

そして、鎌倉から江戸時代にかけて福岡の英彦山(ひこさん)で盛んであった山伏の修験道とかかわりがあると考えられています。

 

ということは、ここ田川郡の福智山でも修験道がすくなくとも行なわれていたと想像できます。その名残を、方城岩屋磨崖梵字曼荼羅はのこしているのでしょう。

 

駐車場はある?

曼荼羅が刻まれる岩屋社から南へ30mほどのところに、大きな駐車場とトイレがありますので、車をとめるのには心配はありません。

 

まとめ

仏さまの像を刻んだ磨崖仏ではないものの、福岡県で磨崖仏(梵字)がみられるのはとても珍しいと思います。また、この方城岩屋磨崖梵字曼荼羅は1335年造と、福岡県内でも梵字曼荼羅としては最古のものとされています参照

 

メジャーな観光地ではないものの、福岡県のふるい歴史を感じる場所としては、訪れてよかったと感じています。また福智山でも修験の文化があった可能性がわかり、これに関する史料をまた調べてみたいと思いました。