福岡県北九州市八幡西区の野面(のぶ)という地区に八所神社があります。『北九州市の史跡探訪』P.208では、八所神社は農業の神をまつり855年に創立された、とあります。
この八所神社境内のおくに石塔群がならべられており、このなかに庚申塔が祀られていたのでご紹介します。
場所:福岡県北九州市八幡西区野面
座標値:33.781638,130.741879
↓下の写真は右側から順番に石塔や石祠をうつしていったものです。
全部で9基の石塔、石祠、狛犬などが石でつくられた祭壇のような場所に、横一列にならべられていました。このなかで、はっきりと庚申塔とわかる石塔が2基ありました。
↓こちらは右から4番目の庚申塔で、正面に「謹請 幸神尊天」と刻まれ、その両側に「元禄十二年 二月吉日」と建立年もあります。元禄十二年は西暦1699年。
この庚申塔のしたには、福岡県の庚申塔ではめずらしく、猿と鶏の像が1匹ずつきざまれています。猿は正面を向き拝むようなポーズをとっています。鶏の像容ははっきりとしませんが、横向になっていると予想されます。猿と鶏の下には庚申講のメンバーとおもわれる名前が…おそらく8名…確認できます。
↓こちらが右から9番目の石塔…庚申塔です。正面に『謹請 幸神尊天』と刻まれているようです。尊天の”天”の字はとても複雑なむかしの文字で形をよみとることができませんでした。
両側には「元禄十 丁丑 暦 二月辰」と刻まれているようです。元禄十年は1697年で、その年の干支(かんし)は丁丑(ひのとうし)で刻まれている文字と整合します。そして塔の下側には、1番目にご紹介した庚申塔とおなじく、講中メンバーの名前がきざまれているようです。しかし摩耗がはげしく文字をほとんど読み取ることができませんでした。
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以上の2基が庚申塔とはっきりとわかりますが、もう1基、庚申塔らしき塔があります。それがこちらです↓
塔正面…表面の剥落がはげしく、おそらくむかし刻まれていた文字は読み取ることができません。
塔の両側面に建立年が刻まれており、それはかろうじて読むことができます。塔にむかって右側面には「宝暦三 癸酉 天」、左側面には「九月八日願主□□中」と刻まれます。
宝暦3年は1753年で干支は癸酉(みずのととり)です。この石塔は、前にご紹介した2基の庚申塔とは異なり笠がかぶせられています。