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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心に史跡を巡っています。コンパクトデジカメ(SONY DSC-WX350)で写真を撮るのが好きです。詳しい撮影場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

1576年につくられた古い庚申塔 大分県佐伯市堅田西野

場所:大分県佐伯市堅田西野

座標値:32.914015,131.874159

 

大分県佐伯市の堅田(かたた)という地区に、とても古い庚申塔が祀られています。上の一枚目の写真を見てみると、田んぼのなかにこんもりと樹が生えています。この樹の根元に三基の庚申塔と、石祠が二基、そして石幢(せきどう)と呼ばれる石灯籠のような形をした石塔が祀られています。

上の写真には、二基の石祠のあいだに石幢が祀られているのが写っています。この裏側に三基の庚申塔が祀られています。

三基の庚申塔にむかって右側から順にご紹介します。その前に、まず案内板に書かれている内容を以下転記してみます。

 

庚申塔


佐伯市西野区


市指定民族文化財(昭和四八年一月一日)住民が、 神仏を信仰するためと、礼拝、行事の対象として建 てられたと伝えられています。この塔は凝灰石造りで、高さ七十八センチ、幅五十七センチ、厚さ十九センチの板碑型で、正面には 「奉造立庚申待人数講也」、「天正四年(一五七六年) 丙子〇二月吉日」、そして信者十八人の名前が刻まれ ています。県内では古い庚申塔の一つだといわれて います。このほか、宝暦十二年(一七六二年)、享和三年(一八〇三年)造立の庚申塔もあります。庚申 は、青面金剛、あるいは猿田彦神とも深い結びつきを持っています。

 

また、高さ二・二メートルの石幢(六地蔵塔)も あり、二体の石造地蔵菩薩も安置されていて供花が 絶えません。今なお、地区民が厚く信仰を続けてい ます。昔、庚申講は輪番の座元で行われ、床の間に猿田彦神の掛軸をかけて、お灯明をあげ、お供物( お神酒・お洗米・牡丹餅・搗き餅・小豆飯)をしました。神仏への信仰と寄合行事をからませた大切な集いでした。このように庚申信仰は、農村に浸透していました。


佐伯市教育委員会

 

この案内板の内容からは、三基の庚申塔の建立年は、①天正四年(1576年)、②宝暦十二年(1762年)、③享和三年(1803年)だということがわかります。この情報を持って、各庚申塔をみてみます。

 

1576年につくられた庚申塔

↓まず、一番右側の庚申塔です。こちらの庚申塔は、刻まれている文字がほとんど確認できません。

目を凝らして、よくよく見てみると、”かすかに文字が刻まれている”ということだけが確認できます。

案内板によると、正面に「奉造立庚申待人数講也」、「天正四年丙子〇二月吉日」、そして信者十八人の名前が刻まれ ているということです。1576年建立という、とても古い庚申塔です。

 

1762年につくられた庚申塔

次に右から二番目の庚申塔についてです↓

こちらの庚申塔もだいぶ風化がすすんでいます。刻まれている文字を試しにそのまま、描いてみると以下のようになります。「奉持 青面金剛塔」という文字だけは確認できます。「奉持(ほうじ)」とは”いただき、奉ること”という意味だそうです参照。案内板によると、おそらく宝暦十二年(1762年)の文字が刻まれていると考えられます。

 

 

1802年につくられた庚申塔

そして、最後、右から三番目の庚申塔です↓ こちらも正面に刻まれる「庚申塔」という文字以外は、確認しにくい状態です。

こちらの文字も、見たままのとおりに描いてみました。

享和二年の建立だと思いましたが、案内板によると享和三年(1803年)の建立ということが書かれています。「庚申塔」の左側の文字は、「戌二月十九日」と刻まれているのではないかと推察します。

 

享和二年の干支は「壬戌(みずのえいぬ)」

 

享和三年の干支は「癸亥(みずのとい)」

 

「戌」の文字が、きざまれていると推察するので、享和二年(1802年)の建立ではないかと考えます。

 

地形図で、今回ご紹介した庚申塔がある場所を確認してみます。地形図にも示されていないような道の脇に庚申塔が祀られていることがわかります。西野という大きな集落の北側に4件だけ家が並んでいます。この4件の家がある小さな集落の入口に庚申塔が祀られていることになります。不思議な配置です。もしかしたら、昔は西野の集落は、現在庚申塔が祀られている場所あたりまで家々が並んでいたのかもしれません。