前回の投稿(2020/5/6)でご紹介した櫨ヶ峠隧道(はぜがとうげずいどう)の東側出入口から、東南東へ140mいった場所に大山祇(おおやまつみ)神社がまつられています。
場所:福岡県北九州市小倉南区大字新道寺
座標値:33.7784805,130.8584442
大山祇神社への参道いりぐちには↓下の写真のような小さな白い鳥居が設置されています。
この鳥居から大山祇神社の祠までは、ほんの20mほどです。ただ参道は足場がとても狭く、参道のすぐ左側は深い谷となっているので転倒しないよう注意が必要です。
狭い足場の参道は石垣で補強されているようです。落ち葉や土砂で、その石垣はおおわれていました。
荒れているようにみえますが、倒木や枯れ枝は参道から取り払われており、手入れがされているようにみえます。
石祠は石垣の上に設置されており、石祠のすぐ右側には巨木のきりかぶがありました。もともと石祠は巨木のそばに祀られたと想像されます。石祠のなかには大山祇神社のご祭神である大山津見(おおやまつみ)神と恵比須様・大黒天様とおぼしき像がまつられていました。
石祠にむかって右側面には「明治三十六年一月」の文字が刻まれていました。明治36年は西暦1903年。今から117年前のものです。
一方、参道入口の鳥居の柱には「平成五年一月吉日」の文字がかかれています。比較的、最近たてられたものだということがわかります。
鳥居のもういっぽうの柱には「山ヶ迫 氏子中」と書かれています。山ヶ迫の読み方はおそらく”やまがさこ”と思われます。
山ヶ迫(やまがさこ)はどこの地名なのでしょう?大山祇神社周辺を国土地理院地図でさがしてみても山ヶ迫という地名はみあたりません。しかしGoogle mapで検索すると「山ヶ迫橋」という名前の橋が、ふもとの集落内にあります。
山ヶ迫橋の座標値:33.782823,130.864048
”迫(はく)”という漢字自体が”山あいの小さな谷、おしつまる、せまる”という意味です参照。
このことから、大山祇神社の東側ふもとにある石原町の一部に字名で山ヶ迫という地区があるのではないかと考えられます。この山ヶ迫地区のかたたちが、大山祇神社をまつったと想像されます。祭神の大山津見神はもともと”山の神様”としてあがめられています参照。
神社の参道や石祠周辺が比較的きれいなことから、現在でも大山祇神社を大事にされているかたがおられるのではないかと考えられます。
大山祇神社のことが掲載されていた書籍
北九州歴史散歩 豊前編P.150-151