『北九州市史(民俗)』のP536に、神仏信仰のひとつとして、小一郎神信仰というものがあることが紹介されています。小一郎神というのは、はじめて知る神さまの名前です。『北九州市史(民俗)』P536では…小倉南区下吉田に小一郎神と刻まれた碑石が現存している…と記されています。小一郎神とはどんな神さまなのでしょう?
小一郎神の分布域
『北九州市史(民俗)』P536では、小一郎神信仰は福岡県東部(豊前)から大分県(豊後)にかけての地域で、一時的に流行した信仰と紹介されています。↓こちらのPDFでは、小一郎神について、さらに詳しく解説が記載されています。
※1『研究ノート コイチロウ神名考』(小玉洋美)
http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/kc11903.pdf?file_id=6654
(※1)では、”小一郎神は大分県の国東半島を中心に、西は山国川流域から南は大分川北岸にかけて、すなわち中津市・下毛郡・宇佐市・宇佐郡・豊後高田市・西国東郡・東国東郡・杵築市・速見郡・別府市・大分市・大分郡の六市六郡にのみ分布する”と紹介されています(P50)
小一郎神信仰は、全国的にひろまった信仰ではなく、大分県の北部地域を中心に、一部地域ではやった信仰のようです。
小一郎神とはどんな神さま?
小一郎神は、そのほとんどが社殿をもたず、簡素な石祠や、森自体がご神体とされていることもあります。小一郎神が祀られている場所の樹を伐ると祟られるなどの伝承が残っており、その場所は聖地とされます。
祀られる地域によって、小一郎神の役割にはちがいがあります。佐藤梯氏により「小一郎神について」(『民間伝承』13巻12号)が発表されて以来、小一郎神が民俗学界に知られるようになりました。同氏が分けた小一郎神の型は以下の4つの型になります(参照※1.P50)。
4の「忘却過程にある神」というのはどういう型になるのでしょう? おそらく、1~3のどの型にもあたはまらない「その他」の分類にあてはめられるのでしょう。以上の他にも、小一郎神は、荒神信仰の一種として祀られる神ともいわれています(堀一郎『民間信仰』P163) いずれにしても「〇〇の神さま」というように、はっきり限定された性格を持つ神さまではないようです。
憶測ですが、大分県の一地域で発生した「小一郎神」が、時間の流れとともに他地域へと広がってゆき、その地域ごとで「屋敷神」とか「氏神」とか「聖地に宿る神」などの性質を、各土地のひとびとによって付与されていったのでしょう。
各地域で、小一郎神は小市郎、今日霊、古一老、古一霊、魂一郎、混一霊、混血霊、木一郎、九市郎などの神名へと変化していっています(参照:※1.P52~P57)。
それにしても、もともとの神名である「小一郎」はどこから来たのか、気になるところです。詳細がわかれば、追記してゆきたいと思います(参照:※1.P55~P57)。
また、小倉南区下吉田にあるといわれる碑石(小一郎神と刻まれている)を探してみたいと思います。