『山の神さま・仏さま(ヤマケイ新書)』のKindle位置番号411/2592に、「紅葉狩り」についての名前の由来が紹介されていました。以前から、どうして山々の紅葉の美しさを楽しむことを「狩り」と表現するのか気になっていました。
同書によると、大きくふたつの説があるとのことです。とても興味深かったので、メモとしてまとめてみることにしました。
①戸隠・鬼女紅葉狩伝説
②”紅葉の赤が血の色”説
戸隠・鬼女紅葉狩伝説
どちらも平安時代に生じた説のようです。①の「戸隠・鬼女紅葉狩伝説」はネットで調べてみると、たくさんのサイトがヒットしました。ざっくりいうと、鬼女である「紅葉」を平維茂(たいらのこれもち)が討ち取るというお話です。戸隠・鬼女紅葉伝説を簡単にまとめると以下のようになります。
平安時代、会津(あいづ:福島県西部)に子どもに恵まれない夫婦がいました。どうしても子どもがほしくて、その夫婦は鬼に頼んで子どもをさずかりました。生まれた女の子に「呉葉(くれは)」という名をつけました。
呉葉は美しく、才能も豊かに育ちました。呉葉は「紅葉」と名前を変え、両親とともに京へ移り住みました。京へ移り住んだ紅葉の評判はひろがり、やがて武将「源経基(みなもとのつねもと)」にかわいがられるようになりました。
経基(つねもと)には妻がいて、紅葉も経基の妻も、お互いのことをよく思っていませんでした。鬼の力を借り、紅葉は経基の妻を呪い殺そうとしました。しかし、そのことが露見して、紅葉は「戸隠(とがくし)」に追放されました。
追放はされはしたものの、紅葉は妖術を使って付近の村人たちの病気を治したり、琴を教えたりしていたので、村人たちに慕われました。
戸隠での生活が安定した紅葉でしたが、京での生活が忘れられず、妖術を悪用し山賊たちとともに京へもどるためのお金を集めるようになりました。
これを見かねた平維茂(たいらのこれもち)が、紅葉を討ちました。紅葉がいた場所は樹々の葉がみごとに色づいた場所であったそうです
(参照:『山の神さま・仏さま(ヤマケイ新書)』Kindle位置番号427/2592)
(参照:神秘の国 戸隠:鬼女紅葉伝説)
鬼女 紅葉が住んでいたといわれる岩屋は実際にあるようで、こちらのブログ↓で紹介されています。ブログを拝読すると、岩屋はとても山深い場所にあるようです。
http://kanjuku107.hatenablog.com/entry/20081030
「紅葉狩」という能の曲目もあるようで(参照)、紅葉狩りの語源を調べるまでは、この伝説はわたしは知りませんでした。
”紅葉の赤が血の色”説
もうひとつの説「②”紅葉の赤が血の色”説」も、平安時代に発祥したものといわれます。平安時代には、紅葉を鑑賞する際、実際に枝を折って、これを手のひらに乗せていました。紅葉の赤を血の色として、人の体を巡るエネルギーの色としたためです(参照:『山の神さま・仏さま(ヤマケイ新書)』Kindle位置番号438/2592)
紅葉の赤からエネルギーを取り込むために、手のひらに紅葉を実際に乗せていました(参照)。この、「エネルギーを自分の体にとりこむ」行為が「紅葉狩り」といわれています。
もうそろそろ紅葉の楽しめる季節となります。ハッとするような美しい紅葉にであえることは北九州市では、なかなかないように感じます。
1.気温差が大きい(15℃)
2.日照時間が多い
3.適度な湿度がある
という3つの条件がそろうと、紅葉は美しくなるようで(参照)、血の色のように真っ赤に色づく紅葉に今年はであえたら良いなと感じます。